ある日、新譜のチェックをしていてふと気づいた。

「あ、これも『東京』タイトルだ」「ん、こっちも歌詞に東京って出てくる」「あれ、このバンド前作のリードトラックも『東京』じゃなかった?」

そういう違和感が三、四、五と積み重なっていって、最終的に「これ、邦ロックの曲名と歌詞、半分くらい東京なんじゃないか?」という疑念にたどり着いた。

調べてみたら、想像をはるかに超えていた。

まず数字をぶつけておく

JASRAC(日本音楽著作権協会)に登録されている楽曲のうち、「東京」「TOKYO」「TOKIO」というタイトルだけで264曲ある。

一方、同じく世界的大都市「New York」をタイトルに冠した楽曲は75曲

つまり、日本のミュージシャンは「ニューヨーク」を歌う頻度の3.5倍

の熱量で「東京」を歌っていることになる。これにはさすがに何かしらのバイアスがかかっていると言わざるを得ない。

ちなみにシンガーソングライターのオリジナル曲に限定しても、「東京」というタイトルの楽曲は30曲以上あるとされている。歌詞に東京が出てくる曲まで含めたら、もはや数える気にもならないレベルだ。

東京、人気すぎないか?

「東京こんぴ」という、悪い意味で完成された一枚

ここで紹介しておきたい衝撃的なアルバムがある。

2012年3月、ビクターから『東京こんぴ』というコンピレーションアルバムがリリースされた。収録曲は、なんと全13曲すべてタイトル「東京」

参加アーティストを書き出すと、こうなる。

  1. 東京 / くるり
  2. 東京 / eastern youth
  3. 東京 / 倉橋ヨエコ
  4. 東京 / GOING UNDER GROUND
  5. 東京 / サニーデイ・サービス
  6. 東京 / BEGIN
  7. 東京 / 小谷美紗子
  8. Tokyo / □□□
  9. 東京 / Base Ball Bear
  10. 東京 / ガガガSP
  11. 東京 / GO!GO!7188
  12. 東京 / THEラブ人間
  13. 弦楽四重奏曲第9番ホ長調「東京」 / 毛皮のマリーズ

13曲全部「東京」である。

頭の中で再生リストとして想像してみてほしい。1曲目「東京」、2曲目「東京」、3曲目「東京」……シャッフル再生してももれなく「東京」が流れてくる地獄のような体験ができる。

しかも本作、選曲はかなり通好みで、サニーデイ・サービス、eastern youth、毛皮のマリーズ、倉橋ヨエコ、THEラブ人間、□□□と、シーンを少し掘ったことのある人間ならニヤッとする顔ぶれが並んでいる。要するに、邦楽のサブカル系アーティストは、ほぼ全員「東京」を作っているということだ。コンピを組むのに困らない程度には。

インディーズ/アンダーグラウンドの「東京」リスト

ここから本題に入る。前述の『東京こんぴ』に入りきらなかった、あるいはその後に登場した、「東京」というタイトルの楽曲を中心に、インディーズ寄りの代表例を見ていく。

GEZAN「東京」(2020年・アルバム『狂(KLUE)』収録)

大阪で結成、東京拠点のオルタナティブパンク。マヒトゥ・ザ・ピーポーが叫ぶ「東京」は、コンピで紹介されたメロウな東京とは真逆で、政治・差別・新型コロナ・分断、その全部を飲み込んだ呪詛のようなトラック。「シティポップが象徴してたポカポカした幻想にいまだ酔っていたい君にはオススメできない」と冒頭曲「狂」で言い切る、東京の暗部から見上げたアルバムだ。

eastern youth「東京」「東京快晴摂氏零度」「大東京牧場」

吉野寿が東京を歌うときは大抵、空の青さと地続きの孤独になる。北海道から上京してきた人の視点で書かれた「東京快晴摂氏零度」、上空の白い雲と地上のセメントとの対比を歌う「大東京牧場」など、複数の角度から東京を抉るバンド。一人で東京の街を歩いている時のBGMに最強の三曲だ。

plenty「東京」(2009年・アルバム『拝啓。皆さま』収録)

2017年に解散した男性デュオによる、皮肉ど真ん中の東京評。歌い出しが「他の人が口にするほどヒドイ所でもなくて/自分自身が思ってたほど素晴らしい所でもなくて」という、東京評を斜め45度から始める異色の上京ソング。江沼郁弥の歌詞の鋭さが、ありふれた地名にここまで違う表情を与えるのかと驚く。

きのこ帝国「東京」(2014年・アルバム『フェイクワールドワンダーランド』収録)

100円シングルとして先行発売された曲で、轟音シューゲイザーから一転してメロウな東京ラブソングに振り切った佐藤千亜妃の名曲。「この街の名は、東京」というフックは、上京して誰かに出会えたすべての人の代弁になっている。

Base Ball Bear「東京」(2010年・ミニアルバム『DETECTIVE BOYS』収録)

小出祐介が書いた、若干のセンチメンタルと若干のスノッブが同居する東京ソング。「東京タワーの代わりに見て欲しい/赤い気持ちがひとつ/東京に生きてる」というラインは、都会で生まれ育った人間ならではの距離感で、地方出身者の上京ソングとは明らかに毛色が違う。同じ「東京」でも、見ている景色がまったく別物だ。

THEラブ人間「東京」

下北沢シーンの中心にいたバンドの「東京」は、より生活感の強い、ライブハウス周辺の東京を歌う。バンドは2017年に活動休止しているが、シーンの記録としていまも価値が高い。

毛皮のマリーズ「弦楽四重奏曲第9番ホ長調『東京』」

志磨遼平のセンスが極まった一曲。タイトルからしてもう、普通の「東京」ソングへの挑戦状である。「おやすみ 街の灯よ/ねむれ 母のない子の/……」と続くこのタイトル詐欺曲は、ジョージ・ハリスン「Isn’t It a Pity」へのオマージュとも指摘されている。

ガガガSP「東京」

神戸のスリーピース。コザック前田の歌詞は完全に「上京した君を忘れられない地元の僕」サイドからのもの。「東京の空の色とこちらの空の色は違いますか?/東京は本当に君の肌に合うのでしょうか?」というフレーズが容赦なく刺さる。マイ・ペース「東京」(1974年)から連綿と続く、「地方に残された側の東京ソング」の系譜の正統な後継者だ。

銀杏BOYZ「東京」「東京終曲 Tokyo」(2005年)

峯田和伸が歌う東京は、夢を諦めて郡山に帰った彼女と、東京に残った僕の物語。「ふたりの夢は東京の空に消えてゆく」というラインが、上京ソング史の中でも最強クラスの破壊力で響く。「東京終曲」は文字通りの続編で、ふたりは結局戻ってこない。

MOROHA「上京タワー」

タイトルに「東京」とは入っていないが、上京ソングの究極形として挙げざるを得ない。「田舎の町の路上から/いざ絶景へ/前傾姿勢さ/キラキラ輝く/光のシャワー/雲さえ貫く/上京タワー」——アコギ一本とポエトリーリーディングで上京の覚悟を歌うこの曲、東京タワーをも越えていく上京の塔を建てた。

サニーデイ・サービス『東京』(1996年・アルバム)

最後に外せないのが、アルバムタイトルそのものが『東京』であるこの一枚。曽我部恵一が書いた12曲の中には「東京」という言葉そのものはほぼ出てこないのに、なぜか全編「東京」の匂いがする。はっぴいえんど以降の東京再発見作品としていまも参照され続けている、邦楽インディーシーン最重要の「東京」だ。

ここまで挙げた以外にも、倉橋ヨエコ、GOING UNDER GROUND、GO!GO!7188、小谷美紗子、□□□、雨のパレード、SALU、Awesome City Club、Vaundy「東京フラッシュ」、Saucy Dog、KANA-BOON、サザン、Mr.Children、椎名林檎『歌舞伎町の女王』に至るまで、「東京」を曲名・歌詞に冠した楽曲が文字通り無数にある。

なんでこんなに「東京」ばっかりなんだよ問題

ここで一回、冷静になって考えてみる。

なぜ邦楽ロックは、こんなに「東京」を歌うのか。理由をパターン化してみると、こうなる。

① 「上京」という装置が便利すぎる

地方から東京に出てきて、希望と挫折を経験する——この物語フォーマットは、戦後の昭和歌謡からポップス、ロックまで、ジャンルを超えて使い回されてきた最強テンプレートだ。「故郷を捨てて」「東京の灯」「夢敗れて」「君を残して」の四点セットがあれば、誰でも一曲書けてしまう。コザック前田もマイ・ペースの森田貢も、この装置を見事に使い切っている。

② 業界が物理的に東京に集中している

レコード会社の本社、主要なライブハウス、フェスのキー会場、音楽メディア、そのほぼ全てが東京にある。地方のバンドが活動するうえで、東京は避けて通れない通過儀礼だ。だから、東京についての感情がそのまま楽曲化されやすい。

③ 「東京」と書くだけで詩情がつく

これは結構ズルい話なんだが、「東京」という二文字には、「都会/孤独/華やかさ/無関心/青春」みたいな複合的なイメージが既にパッケージされている。歌詞に「東京」と書き込むだけで、何も説明していないのに勝手にニュアンスが立ち上がる。詩を書く側にとって、これほどコストパフォーマンスのいい単語はそうそうない。

④ 「東京を歌う」こと自体が一つのジャンル化している

これが一番厄介で、もはやアーティストが「東京」を歌うとき、無意識のうちに「東京を歌うジャンルの先輩たち」を参照している節がある。サニーデイ・サービス以降は特に顕著で、はっぴいえんど→サニーデイ→現代インディーという系譜の中で「東京」を歌うことが、ある種の様式美になっている。

いやでも、地方は何を歌えばいいんだよ

ここからが、僕がいちばん言いたかった話。

「東京」がこれだけ歌われている一方で、たとえば「大阪」「京都」「福岡」「札幌」「名古屋」をタイトルに冠した邦ロック楽曲は、どれだけあるか。

JASRAC登録楽曲のうち、「大阪」タイトルは演歌・歌謡曲が圧倒的に多く、ロック・ポップスでの「大阪」は驚くほど少ない。「京都」も同様で、観光ソング以外でロックバンドが正面から「京都」を歌った例は数えるほどしかない(くるりの「京都の大学生」くらいか)。

つまり、邦楽ロックにおいて、「地名で曲を作っていいのは東京だけ」という奇妙な不文律が、長らく存在してきたわけだ。

地方在住のリスナーとして、これは結構しんどい現象だと思う。

自分の住んでいる街を歌った曲がほぼ存在せず、聴くロックのほぼ全部が「東京で迷子になる話」「東京で失恋する話」「東京で挫折する話」「東京で夢を見る話」「東京を呪う話」「東京に憧れる話」——もう、東京と人生どっちが主役なんだよと言いたくなる。

地方民にとって邦ロックは、「東京の住宅事情を疑似体験するメディア」として消費されているフシすらある。

「東京」を歌う、ということの陳腐化

ここまで来て、もうひとつ言わせてほしい。

これだけ「東京」が歌われると、もはや「東京」と書いた時点でその曲の解像度はちょっと下がるんじゃないか、という気がしてくる。

GEZANの「東京」が強烈だったのは、いわゆる上京ソングの様式美をぶっ壊してくれたからだ。サニーデイ・サービスの『東京』が今もリファレンスされ続けるのは、歌詞の中で「東京」とほぼ言わなかったからだ。マイ・ペースの「東京」が世代を超えてカバーされ続けるのは、「東京」を呆れるほど連呼することそのものを音楽にしてしまったからだ。

つまり、「東京」ソングが残っていく条件は、「東京」というワードに頼らないか、あるいは「東京」を頼りきって突き抜けるかの、どちらかしかない。中途半端な「東京」は、264曲のうちの記憶に残らない235曲目とかになって、消えていく。

そろそろ「地方ソング」の時代が来ていい

東京について歌うこと自体が悪いわけじゃない。むしろ前述したインディーズの「東京」たちは、どれも歴史に残るべき名曲だ。

ただ、邦ロックがここまで東京偏重で来てしまったいま、そろそろ東京じゃないどこかを、固有名詞のまま歌うバンドがもっと出てきていいんじゃないか、と思う。

実際、ローカルシーンに目を向ければ、福岡、札幌、名古屋、仙台、京都に、それぞれ独自の感性で土地を歌うインディーズバンドが点在しはじめている。彼らはまだ「東京」と歌わない。歌わなくても、ちゃんとロックを鳴らしている。

東京を歌うのは、もう一周回って、次は地方の番である。

「東京」と言わずに東京を歌ったサニーデイ・サービスを聴くたびに、そう思う。

ではまた。