ライブに行ったことがある人なら、百回は聞いたことがあるはずだ。あの決まり文句を。

「今日初めましての人も多いと思うけど、顔と名前だけでも覚えて帰ってください!」

ステージ上のボーカルが、汗を光らせながら、精一杯の笑顔で言う。客席はまばらな拍手で応える。そして次のライブも、その次のライブも、判で押したように同じことを言う。今日はこの、ライブハウスに蔓延する「名前だけでも覚えて帰って」というMC文句について、少し意地の悪い角度から考えてみたい。

先に立場を表明しておく。僕はこのセリフが、あまり好きじゃない。嫌いというより、もったいないと思っている。なぜもったいないのか。

そもそも「名前だけ」でいいのか

考えてみてほしい。「名前だけでも覚えて帰って」というのは、裏を返せば「中身は覚えてもらえなくてもいいから、せめて名前を」という、かなり後ろ向きな要求。

音楽を聴きに来た客に対して、最初から「音楽で勝負するのは諦めました、名前だけ持って帰ってください」と宣言しているようなものじゃないか。もちろん本人にそんなつもりはないだろう。謙遜のつもりで、あるいは対バン相手への配慮として、控えめに言っているのはわかる。だが言葉というのは、意図とは裏腹に本音を漏らす。「名前だけでも」という言い回しには、「どうせ曲までは刺さらないだろう」という無意識の諦めが透けて見えてしまう。

実際、この違和感を明確に言語化しているプレイヤーがいる。元プロのバンドマンでライブハウス勤務経験もあり、2000本以上のライブを観てきたという書き手が、自身のnoteで「名前だけでも覚えて帰ってください」というMCが嫌いだと書いている。そのうえで、それを言うくらいなら「名前も曲も全部好きになって帰ってください」と言いたい、と続けている。これだ、この気概の差だ。

「名前だけ覚えて」と「全部好きになって帰れ」。言っていることのベクトルが正反対だ。前者は守り、後者は攻め。どうせ同じMC時間を使うなら、攻めの言葉を吐いた方が客の心は動く。

本当に印象に残るバンドは、そんなこと言わない

ここで冷静に振り返ってみよう。あなたが今まで観たライブで、本当に忘れられなくなったバンドは、MCで「名前だけでも覚えて帰って」と懇願していただろうか。

たぶん、していない。本当に爪痕を残すバンドは、演奏が終わった瞬間、こちらが勝手に名前を検索している。MCで頼まれるまでもなく、指が動いている。1曲目のイントロで胸ぐらを掴まれ、気づけばフライヤーの束から必死にそのバンドの名前を探している。それが「印象に残る」ということの正体だ。

逆に言えば、「名前だけでも覚えて」と口で言わなければならない時点で、演奏でそこまで刺せなかった、という自己申告になりかねない。もちろん、優れた演奏をしたうえで、駄目押しとしてこのMCを入れるバンドもいる。それは別にいい。問題は、演奏で足りなかったぶんを言葉で埋めようとする構図だ。中身で勝ちきれなかったから、せめて名前を刷り込もうとする。その順序が、なんだか切ない。

印象づけたいなら、答えはシンプルだ。中身で殴れ。名前を覚えてくれと頼む前に、覚えずにはいられない演奏をしろ。話はそれからだ。

とはいえ、擁護もしておく

ここまで散々こき下ろしてきたが、フェアじゃないので反対側の視点も置いておく。このMC、実は合理的な側面もあるのだ。

対バンライブ、特にアイドルや地下シーンの現場では、初見の客に名前を届けることが死活問題になる。ある観客目線の指摘では、対バンで「この曲いいな」と思っても、曲名すら届かないまま終わるケースが多いという。だからこそMCでグループ名や曲名を繰り返し口にして、後でネット検索してもらえるよう印象に残す工夫が重要だ、と。これは戦略として正しい。

つまり「名前だけでも覚えて帰って」は、認知を勝ち取るための、涙ぐましいマーケティングでもある。特に無名の若いバンドにとって、名前を一つでも多くの脳に刻むことは、次のライブの動員に直結する。演奏がどれだけ良くても、名前を思い出せなければ客は二度と来ない。その現実を知っているからこそ、彼らは必死に名前を連呼する。この事情を無視して「ダサい」と切り捨てるのは、あまりに酷だ。

さらに言えば、MCの善し悪しは動員に直結する、という指摘もある。演奏が多少下手でもMCが上手ければファンはつくが、MCが下手だとよほど演奏が上手くなければファンはつかない、と語るプレイヤーもいる。「音楽で魅せるからトークはいらない」と尖ってみせるのは、CDの売上を上げてから言え、という手厳しい意見もある。営業力、自己PR能力がなければ、そもそも聴いてくれる人を集められない。それも一つの真実だ。

結局、どうすればいいのか

というわけで、話は振り出しに戻る。名前を覚えてもらう工夫は必要だ。でも「名前だけでも」という守りの言い方は、自らの音楽の価値を安売りしている。この二つをどう両立させるか。

僕なりの結論はこう。名前は、頼むな。刻め。「覚えて帰ってください」とお願いするのではなく、覚えずにいられない状況を演奏で作れ。そのうえで、MCではさらりと「もう一回名前だけ言っときますね」くらいの余裕を見せればいい。懇願と、余裕。同じ名前を連呼するのでも、この温度差が印象を決定的に変える。

面白い実例がある。あるバンドマンは、形骸化したアンコール文化へのアンチテーゼとして、ライブ冒頭で先にアンコールの曲数を発表してしまう、という荒技を使うそうだ。定番の様式を、あえて崩して自分の色にする。この発想は「名前だけ覚えて」問題にも応用が利く。みんなと同じ守りの文句を垂れ流すのではなく、自分たちなりのやり方で名前を刻めばいい。要は、思考停止で定番をなぞるなということだ。

ライブハウスは、名前を覚えてもらう場所じゃない。名前を覚えずにいられなくさせる場所だ。次にステージに立つとき、「顔と名前だけでも」という言葉が喉まで出かかったら、一度飲み込んでみてほしい。その代わりに次の一曲で客の胸ぐらを掴め。名前なんて勝手に検索される。

ではまた。