Nujabesを語る。「BGM」と呼ばれた男が、世界中に刺さった理由
店内で「ああ、これNujabesっぽいな」と感じる曲が流れてた。
正確には「Nujabesっぽい」というか、「Nujabesの孫の孫の孫世代のlo-fiビート」。ジャジーなピアノに、軽くノイズの乗ったドラムループ。誰の曲かは分からない。たぶん、誰の曲でもない。YouTubeの「lofi hip hop radio – beats to relax/study to」あたりからアルゴリズムで流れ着いた、無名のビートメイカーの音だ。
そして、こういう曲が今こうして鳴っている事実こそが、Nujabesという人が遺したものの大きさだと思う。
ただ、今日はそういう「lo-fiの祖」みたいな歴史の話を、一回横に置いておきたい。
Nujabes=瀬葉淳という人は、「勉強用BGM」を作ろうとしたわけじゃ絶対にない。むしろ全然、逆だ。
まず、彼が何者だったか
瀬葉淳。1974年2月7日、東京・港区西麻布生まれ。本名は山田淳。父は国税庁勤務のアマチュア・ジャズピアニスト。
ここからすでに、物語性が強すぎる。
日本大学藝術学部でデザインを学び、写真にも強かった瀬葉は、21歳の1995年、当時”世界一レコード屋が密集していた街”とすら言われた渋谷区宇田川町に自分の店を持つ。最初は「Bongo Fury Records」、ほどなく「Guinness Records」に改名。2003年には旗艦店「Tribe」もオープンした。
何が異常かというと、棚に並ぶレコードの選定が完全に偏っていたことだ。盟友のPase Rockの証言だと、「60%がアンダーグラウンド・ヒップホップ、40%がその他。DJ Premier、Pete Rock、Five Deezでなければ、彼は相手にしなかった」。
商業的に売れる盤を仕入れない。自分が「これだ」と思った盤しか置かない。
そんな店、潰れるだろ、と普通は思う。でも瀬葉のセレクトは尖りすぎていて、それ目当てに業界人と海外のディガーが渋谷に集まってきた。Guinness Recordsは結果として、東京のジャジー・ヒップホップ/アブストラクト・ヒップホップ・シーンのサロンになる。
「Nujabes」という名前自体、本名「Jun Seba(瀬葉淳)」の逆綴りだ。
橋本徹の『SUBURBIA SUITE』に1995年にライター参加した際、本名「山田淳」ではなく「瀬葉淳」名義を希望して校正を入れたのが、”瀬葉”の初出。その3年後、1998年にレーベル「Hyde Out Productions」を立ち上げ、自身のミックステープを”Seba Jun”の逆綴り=Nujabesとして世に出した。
要するに、本名すら音楽用のもう一人の人格を作ってからスタートしている。徹底している。
「弱者」という自認
ここからは、当時のA&Rだった竹内方和(後にLibyus Musicを設立する人物)の証言を頼りにしたい。
『Metaphorical Music』『Modal Soul』の制作現場で、瀬葉はとにかく完璧主義だったらしい。デモが上がるたびに、二人で深夜のお台場をドライブして「尋問のように」感想を求める。「自分と、信頼できる人間”全員”が100%OKを出さない限り、その曲は完成にしない」。
英語が堪能ではないのに、海外ラッパーを身銭を切って来日させ、通訳なしでラップのディレクションをする。意見が食い違うと、最終的には言い負かしてしまう。データで楽曲を作るタイプではなく、毎回、人を呼び、対面で詰める。
その竹内氏が、いちばん印象的な言葉を残している。
「若い頃にたくさん辛い思いをしたみたいで、いつも『自分は弱者』だと語っていた。だからこそ、人が辛いとき悲しいとき、感情の琴線を刺激するメロディを作りたい、と」
これだ、と思った。
Nujabesの音楽が世界中の孤独な人間に刺さり続けている理由は、ここに尽きる。彼は最初から、勝者のためにビートを作っていない。眠れない夜の三時に、ひとりで部屋にいる側の人間のために、音を組んでいた。
そのことを、まずきちんと書いておきたい。
『Metaphorical Music』(2003) ― 「家で聴けるヒップホップ」という発明
1st『Metaphorical Music』は、いまでは古典扱いだが、当時の文脈で見ると相当アクロバティックなアルバムだ。
何がアクロバティックって、自分のレーベルHydeoutから出さず、あえてDimid Recordings(HARLEM派生)から出している。理由はシンプルで、「アーティストとレーベルを自分一人で兼ねるのは絶対うまくいかない」と判断したから。客観性を確保するためにわざわざ他流試合の場を選んだわけだ。21歳で店をオープンした男が、29歳でこの俯瞰の利き方をしている。やはり只者じゃない。
そして本作の決定的なコンセプトは、「クラブで首を振るためのヒップホップじゃなくて、家でかけられるヒップホップ」。
今となっては当たり前すぎる発想だが、2003年時点ではかなり新鮮だった。ヒップホップ=攻撃性、ヒップホップ=バイブス、という暗黙の前提を、瀬葉はジャジーで穏やかなループで丁寧に外していった。
タワレコもHMVも追加発注に追いつかなくなり、女性リスナーがどっと反応した。プロモのフライヤーをカフェや美容院に配ったという話も残っていて、これまた「ヒップホップを売る」常識からはかなりズレている。
収録曲を一部だけ挙げる。
「Blessing It (Remix)」(feat. Pase Rock & Substantial)。元ネタはファラオ・サンダースの「Save Our Children」。スピリチュアル・ジャズの名盤をループの素材にする選球眼に、初期Nujabesの趣味の高さが詰まっている。
「Lady Brown」(feat. Cise Starr)、「Highs 2 Lows」(feat. Cise Starr)。CYNEのCise Starrを起用した二曲は、初聴のひとが「Nujabesってこういうことか」と理解する入口として今でも機能している。
「Letter From Yokosuka」。タイトルそのものが詩のような、ピアノとサンプリングだけの一曲。後のlo-fi文化のリスナーたちが「これだ」と感じた感覚は、たぶんこの曲のあたりで決定づけられている。
そして「Kumomi(雲見)」。これは橋本徹の証言によれば、西伊豆・雲見への家族旅行という、ごく個人的な原風景がモチーフだという。世界中で再生されているNujabesの曲のいくつかは、こういう、本人の家族の記憶の断片で出来ている。
『Modal Soul』(2005) ― 完成された美学
2nd『Modal Soul』は、Nujabesの代表作と呼ばれる一枚だ。これに異論を挟む人はあまり見ない。
冒頭の「Feather」(feat. Cise Starr & Akin)。Yusef Lateefの「Love Theme from The Robe」をループした、Nujabesでもっとも有名なオープナーのひとつ。初めて聴いたとき、最初の二小節で「これは負ける」と思った。あのループの懐かしさは、ほとんど反則だ。
「Ordinary Joe」では、サンプリング元の本人であるTerry Callierを呼んで新録している。フルートも本人が吹いている。サンプル元のレジェンドにあらためてセッションをやってもらう、というのは、本来のヒップホップ的サンプリング文化とは逆ベクトルの行為で、ここに瀬葉の”礼”の感覚が出ている。
「Reflection Eternal」。巨勢典子のピアノ曲「I Miss You」がコアになっている。J Dillaよりも早く巨勢典子をサンプリングして全面ループした、というのが瀬葉が”lo-fi的審美眼”を世界よりも先に持っていたことの一つの証拠だ。
「Luv(sic) Part 3」(feat. Shing02)。これは別項で詳しく書く。
そして「Eclipse」「The Sign」「Thank You」「Modal Soul」「Horizon」――この時点でもう、「Nujabes印」のアルバムというパッケージが完成している。竹内方和は「メロディの力だけで言えば前作の方が上だったかもしれないが、世の中はすでに『Nujabesなら何を出してもOK』というモードになっていた」と言う。
そう、『Modal Soul』はもう、信仰の対象なのだ。
『サムライチャンプルー』(2004) ― 北米とつながった瞬間
ここを書かないわけにいかない。
渡辺信一郎監督が、レコ屋通いをしていたとき、当時出ていたNujabesの12インチを全部買って聴いていた、というのが起用のきっかけ。監督本人の言葉を借りると、
「サンプリングのネタ感が特徴的で、メロディアスで叙情的で、映像が頭に浮かぶ。音楽と映像が50:50で競い合うようにしたかった」
このディレクションは、いま振り返ってもとんでもなく正しかった。
『サムライチャンプルー』の劇伴は、Nujabes、Fat Jon、Tsutchie(Shakkazombie)、Force of Nature(KZA & DJ Kent)の4組による分業。4枚のCD「departure/masta/impression/playlist」で展開されている。Nujabesは、主題歌も自分から「やらせてくれ」と申し出てプロデュースしたという。
OP「battlecry」(feat. Shing02)、ED「四季ノ唄」(feat. MINMI)。劇中曲では「Aruarian Dance」「The Space Between Two World」「Transcendence」「world without words」あたりが定番だ。
「Aruarian Dance」のサンプル元はLaurindo Almeida「The Lamp Is Low」。元を辿るとラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」までいく、というのが、もうNujabesの選曲センスをそのまま示している。日本のヒップホップ・プロデューサーがブラジリアン・ジャズを経由してラヴェルにたどり着く、その動線がそもそも詩的だ。
そして、ここで決定的なことが起きる。
『サムライチャンプルー』が、米Adult Swimで放送された。
日本国内の初回放映時の評判は、実は微妙だったらしい。監督いわく「オタクとヤンキーという天敵を混ぜたから」。だが、北米のオタクは、このBPMでこのループでこの映像を流してくる作品を、完全に新種として受け取った。
そしてその放送が、後の世界的なlo-fi hip hopブームの最初のドミノになる。
「Luv(sic)」六部作の話を、もう一度ちゃんとする
Shing02との「Luv(sic)」シリーズは、いま振り返ると、ヒップホップ史でも稀に見る詩的なプロジェクトだと思う。
「lovesick(恋煩い)」と「sick as a dog(ひどく具合が悪い)」をかけ、さらに校正記号”(sic)”=原文ママ、をひっかけたタイトル。Shing02自身が「これは音楽の女神に宛てた手紙だ」と説明している。シリーズを通して、語り手は”音楽”という存在へ、片想いと感謝と問いを綴り続ける。
ここで決定的に面白いのが、シリーズ起点の「Part 1」のビートに関する裏話だ。
あのビートは、本来Pase Rock宛てに作られていた。
Pase Rockはデモまで録ったが、自分の中で完成形に近づかず、Nujabesに「これは違うかも」と返した。
そこにShing02から「12インチを一緒に作りませんか」と一通のメールが届いた。
ShingはPaseと旧知だったので、彼から直接「あのビート、自分が使ってもいい?」と許諾を取った。
そして2001年、「Luv(sic) Part 1」が世に出る。
つまり、もしあのときPaseが「これ俺がやるよ」と握っていたら、Luv(sic)シリーズは存在しなかったかもしれない。世界中のNujabesファンが涙する、あの六部作の発端は、譲り合いの偶然だった。
Part 2、Part 3が『Modal Soul』周辺で発表され、Part 4・5は瀬葉の生前に器楽部分がほぼ完成。
そして2010年、瀬葉が事故で逝く。
Part 6(Grand Finale)の核ビートは、彼の没後数週間、瀬葉の携帯電話の中から発見された。それを、相棒のUyama Hirotoが鎌倉のスタジオで仕上げ、ミックスとマスタリングを担当し、シリーズ唯一の公式MVも制作した。Shing02はPart 5以降の歌詞で、若くしてがんで急逝したビートボクサーJeff Resurreccion、そして瀬葉淳本人への追悼を書き込んだ。
Part 6がリリースされたのは、瀬葉の三回忌、2013年2月26日。
「音楽の女神に宛てた手紙」のシリーズは、つまり、書いた本人が音楽の女神に呼び戻されたあとで、残された仲間たちの手によって完結された。
これはもう、現実が物語に勝ったケースだと思う。
2010年2月26日
書きたくないが、書かないわけにいかない。
2010年2月26日深夜、瀬葉淳は首都高速道路を降りる際に交通事故に遭った。渋谷区内の病院に搬送されたが、蘇生は叶わなかった。36歳。
公式の訃報がHydeout Productionsから出たのは3月18日。それまでの約3週間、海外のリスナーが先にネット上の噂を拾い、レーベルの沈黙との温度差に戸惑った時期がある。
葬儀と納骨は家族のみ。妻と娘、そして兄弟を遺した。兄はHydeout Productionsをその終焉まで運営し、弟は渋谷でラーメン店「うさぎ」を営んでいる。店内ではNujabesの音楽が流れ、メモラビリアが飾られているという。
ひとつだけ、宿命じみたことを書く。
瀬葉淳と、デトロイトの伝説のプロデューサーJ Dillaは、完全に同じ1974年2月7日生まれだ。
そしてJ Dillaは2006年2月10日に血液疾患で32歳の生涯を閉じている。
奇しくも、世界の東西で「lo-fi hip hopのゴッドファーザー」と並称される二人は、誕生日が同じで、命月が同じで、30代で逝った。
こんな偶然、ストーリー作家でも書けない。
『Spiritual State』(2011) ― 仲間たちが完成させた一枚
3rd『Spiritual State』は、瀬葉が制作途中で亡くなったため、Uyama HirotoやFunky DLら親しい仲間の手で完成され、2011年12月に没後リリースされた。
Funky DLは制作を回想して、「ピアノの音色ひとつ取っても、どの音か特定するのに本当に時間がかかった」と語っている。残された素材の断片から、瀬葉だったらどう組み立てたかを推理して肉付けしていく作業。気が遠くなる。
「Spiritual State」(feat. Uyama Hiroto)、「Sky is Tumbling」(feat. Cise Starr)、「Gone Are The Days」(feat. Uyama Hiroto)、「City Lights」(feat. Substantial & Pase Rock)、そしてラスト「Island」(feat. Uyama Hiroto & haruka nakamura)。
「Island」では、Schole周辺のアンビエント/ポストクラシカル系作家haruka nakamuraが参加していて、曲が終わったあと約30秒の沈黙でアルバムが幕を閉じる。
この沈黙は、もう完全に意図された別れだと思う。
評価は割れていて、「カネ目当ての遺作ではなく、誠実な完成だ」という声と、「本人がいない以上、どうしても魂が欠けている」という声が両立している。両方とも正しいと思う。完璧主義の塊だった人が「100%OK」と言わないまま世に出た作品なのだから、当然の評価だ。
lo-fi hip hopという、ややこしい遺産
ここからが、本記事のいちばん書きたかったところに入る。
2013年以降、YouTubeで「lofi hip hop radio – beats to relax/study to」みたいな24時間ライブストリームが爆発的に増えた。ChilledCow(現Lofi Girl)が2017年に勉強する少女のアニメをサムネに据え、Chillhop Musicが同様の枠でビートメイカーを輩出していった。
このカルチャー全体の遺伝子をたどると、ほぼ全部Nujabesに繋がる。
匿名性。アニメ的なヴィジュアル。ボサノヴァとジャズのサンプル。メランコリックな短調ループ。鳥のさえずりや雨音などの環境音。ピアノ/ソプラノサックス/ストリングス偏重。
第二世代のフォロワーは膨大だ。Tomppabeats(フィンランド)、Jinsang(2015年に「Aruarian Dance」をリミックスして話題に)、idealism、bsd.u、L’Indécis、Engelwood、Birocratic、Sebastian Kamae、Saib.、Joey Pecoraro、kupla、Philanthrope、SwuM……。挙げきれない。
ただし、ここで一個、重要な事実を書いておきたい。
第二世代のビートメイカー本人たちの多くは、「lo-fi」というラベルを嫌っている。Tomppabeatsもidealismも、インタビューで距離を取る発言をしている。「自分はそんなジャンルを名乗ったつもりはない」と。
そして、たぶん瀬葉淳本人もそうだったと思う。彼は「ジャジー・ヒップホップ」というジャンル分けすら、本当はあまり好きじゃなかったらしい。
Pitchfork(Philip Sherburne)は2018年、lo-fi hip hopジャンル全体を「白色雑音の塗り絵」と痛烈に皮肉った。当たっている部分はあると思う。BGM化されすぎて、もはやビートメイカー個人の作家性が消費されない、巨大な”作業用音源”の海。
このカルチャー、Nujabesと地続きであることは間違いないが、Nujabesがやっていたことの核心とは、実はかなりズレている。
竹内方和の証言を、もう一度引用したい。
「自分と信頼できる人間全員が100%OKを出さなければ完成と呼ばない」
「人が辛いとき悲しいとき、感情の琴線を刺激するメロディを作りたい」
これは「勉強しながら聴き流すBGM」を作るマインドではない。一秒の音にも妥協しない作家の、極度に偏執的なメンタルだ。
Pase Rockは「lo-fiの音質は、SP-1200やMPCの機械固有の音とアナログ盤サンプリングと未整音の必然的な産物であって、最初から汚そうとしたわけではない」と説明している。瀬葉が必ずアナログ盤からサンプリングしたのは、ローファイ風な質感を狙っていたからじゃなくて、温度のある音を求めた結果だ。
つまり、Nujabes本人を「lo-fiの始祖」とだけまとめてしまうのは、彼の精度を半分以下に値切る行為だと、僕は思う。
国内の正統後継たちのこと
海外フォロワーばかり語られがちなNujabesだが、国内には太い系譜がいくつもある。
筆頭は、もちろん相棒Uyama Hiroto。瀬葉没後にLuv(sic) Part 6を完成させ、自身のソロでも『a son of the sun』(2008)、『freedom of the son』(2014)、『freeform jazz』(2016)などをコンスタントにリリースしている。
haruka nakamura。Schole周辺の作家で、ポストクラシカルとアンビエントとピアノの感性を持つ人。2013年には『MELODICA』をhydeout productionsから出していて、瀬葉と直接の縁を結んでいる。2021年に追悼盤『Nujabes Pray Reflections』をリリースした。
ovall。Shingo Suzuki、mabanua、関口シンゴのトリオ。生演奏でビートを鳴らすorigami PRODUCTIONS系の流れは、Nujabes的”ジャジー・ヒップホップ”を生バンドで再解釈する系譜と言っていい。mabanuaのドラムプロデュースは、J Dilla〜Nujabes以降のビートの感覚を生身で叩いている。
Cradle Orchestra(Tomoki Seto率いる)。2009年の『Transcended Elements』(GOON TRAX) には、CL Smooth、De La Soul、Substantial、Shing02まで参加していて、Nujabes周辺の客演陣を生バンドで束ね直した重要な一枚。
そしてもちろん、CYNEのCise Starr、Substantial、Pase Rock、Apani B、Funky DL、L Universe(=Verbal)、Five Deezといった海外勢の存在。当時Hydeout Productionsが集めた人脈の濃度を、いま振り返ると改めて驚く。
命日の街
毎年2月26日、命日には世界中で追悼が続いている。
2020年(没後10年)には、Spotifyが渋谷スクランブル交差点で3分間の追悼映像を流した。橋本徹監修のプレイリスト「Pray for Nujabes」「This is Nujabes」も同時期に登場した。同じ年の集計で、Spotify Japanが発表した「海外で最も再生された国内アーティスト」では、Nujabesは1位ONE OK ROCK、2位RADWIMPSに続き、3位だった。坂本龍一とBABYMETALより上である。
2025年、つまり没後15年には、東京・京都・大阪・福岡の4都市で「A TRIBUTE TO NUJABES: The 15th Anniversary of His Departure」が開催された。haruka nakamura、巨勢典子、DJ Ryow、Marcus D、Kenmochi Hidefumiといった、Nujabesの音楽的DNAを正面から受け継ぐ面々が登壇している。
弟が営む渋谷のラーメン店「うさぎ」では、いまも店内にNujabesの音楽が流れ、彼のメモラビリアが飾られている。家族が、彼の音楽を生活の中に置き続けている。
なぜ今でも聴かれるのか
Nujabesがコンビニの店内BGMの遺伝子レベルにまで浸透しているこの2026年に、改めて『Metaphorical Music』を頭からかけ直すと、こう感じる。
ああ、この人はやっぱり、ひとりひとりに向けて作っていた。
世界のBGM産業の祖になることなんて、たぶん本人は望んでいなかった。彼はもっとずっと小さなスケールで、夜中の三時に部屋でひとりレコードを聴いている誰かに、ちょっとだけ寄り添う音楽を作りたかっただけだ。
その小さな祈りが、本人の意図を超えて、結果として世界中の孤独な人間に同時に届いた。
それがNujabesの音楽の核心であり、おそらく、彼の作品がアルゴリズムの海に飲まれずに、いまも個別の作家の名前として呼ばれ続けている理由だと思う。
「弱者」を自認した完璧主義者の、36年の仕事。
僕らは、たぶん、これからもこの人の遺したループを、夜中の三時に聴き続ける。
ではまた。

