邦ロックの「名前ソング」わざわざ付ける理由
邦ロックを聴いていて、ときどき思う。
なんでみんな、彼女に名前をつけたがるんだろう。
「君」でいい。「あの子」でも済む。なんなら主語を省いてもいい言語だ、日本語は。それなのに、わざわざ「マリア」「シャーロット」「ハツミ」と固有名詞を歌う。
固有名詞を出した瞬間、その曲には一人の具体的な少女が立ち上がる。聴き手の数だけ違う顔のマリアが浮かんで、勝手に物語が始まる。たぶん、名前というのは、ロックバンドが使える最強の「物語装置」なのだ。
というわけで今回は、邦ロック/インディーシーンの「名前ソング」を、掘っていく。
これは、邦ロック歌詞の固有名詞史でもある。
- ELLEGARDEN「Marie」「高架線」(ローラ)
- indigo la End「レナは朝を奪ったみたいだ」(レナ)
- ゲスの極み乙女「ハツミ」(ハツミ)
- BUMP OF CHICKEN「アルエ」(綾波レイ)
- ドレスコーズ「Lily」/「海賊ジェニー」(リリー/ジェニー)
- フジファブリック「マリアとアマゾネス」(マリア)
- 毛皮のマリーズ「BABYDOLL」(リリー)
- ART-SCHOOL「FIONA APPLE GIRL」(フィオナ)
- ART-SCHOOL「シャーロット」(シャーロット)
- ART-SCHOOL「ジェニファー’88」(ジェニファー)
- 番外編:名前に見えて、実は名前じゃない曲
- 結論:名前は、いちばん安いのにいちばん効く魔法
ELLEGARDEN「Marie」「高架線」(ローラ)
まず、意外と忘れられがちなところから。
ELLEGARDENは細美武士の作詞作曲で、2006年のアルバム『ELEVEN FIRE CRACKERS』のラストトラックがそのものずばり「Marie」。そして同じアルバムの9曲目「高架線」には、最後にこういう一行がある。
「Her name is Laura」
「I am dreaming of a girl rocked my world」と歌っておいて、サビの後半でようやくその少女の名前を明かす、という構造になっている。これ、地味だが効きが強い。3分間ずっと正体不明の「a girl」だった存在に、ラストでローラという固有名詞が与えられて、急に彼女が実在の人物として立ち上がる。
エルレが青春パンクの記号化を経て、もう一度ロックバンドとしての強度を取り戻していった時期の名作だ。「彼女には名前があった」と一行で明かす演出は、わりと反則に近い。
indigo la End「レナは朝を奪ったみたいだ」(レナ)
川谷絵音は、こと女性名を曲名に置く頻度では、現役の邦ロック作家のなかで頭ひとつ抜けている。
「レナは朝を奪ったみたいだ」はインディゴの初期ライブ定番曲で、ファンのあいだでは「人の名前がタイトルに入ってる川谷の曲はとりあえず名曲」という暗黙のルールがあるくらい支持されている。タイトル時点でもう詩になっているのがズルい。「レナは朝を奪った」――文法的には変なのに、意味だけは強く立ち上がる、あの感じ。
カタカナ表記の「レナ」は、漢字の「玲奈」「礼奈」と比べて一段だけフィクション側にずらされていて、ちょうど聴き手が自分の知り合いを思い浮かべすぎないラインに調整されている。この距離感の取り方が、川谷の真骨頂だ。
ゲスの極み乙女「ハツミ」(ハツミ)
同じく川谷絵音の作品。ミニアルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』収録。
前述のレナと同じカタカナでも、こちらは「初美」を読み上げているような土着感がある。
歌詞は雨と、拭えない悲しみと、その雨を一緒に見ている誰かに向けて書かれた、メランコリックな名曲。ゲスというバンドの「ふざけたバンド名と、シリアスすぎる楽曲」という落差を、もっとも体現している曲のひとつだ。
ハツミという名前を選んだ瞬間、この曲は「東京の若者の話」から「もう少し古い時代の、地方の、誰か」の話に半歩寄る。川谷は和名と外来名を使い分けて、曲の風景を微調整しているのだ。
BUMP OF CHICKEN「アルエ」(綾波レイ)
これは別格枠で入れたい。
「アルエ」は1999年のインディーズ1stアルバム『FLAME VEIN』収録曲。2004年にトイズファクトリーからリカット・シングル化された、藤原基央初期の重要曲だ。
そして名前の由来が、邦ロック史でもトップクラスにオタクである。
藤原本人がインタビューで明かしている。「2次元のキャラクターに恋をしてて。そのイニシャルがR.A.だったんですよ(笑)。ホント好きで、『彼女のためになんか書きてー!』とか思って」
そう、「アルエ」は「R.A.」、つまりRei Ayanami=綾波レイのイニシャル「アール・エー」を音にしたもの。新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイに、当時のバンプ・藤原がガチで恋をして書いた、邦ロック史上もっとも有名なオタクラブソングである。
サビの「ハートに巻いた包帯」は「怖」の字を分解した暗喩――という解釈もファンの間で根強い。本人が明言しているわけではないが、字面で見るとたしかにそう読める。
固有名詞のままだとさすがに憚られたから一段ぼかして「アルエ」にした、その振る舞いがもう完全にバンプの美学。「好き」と「言えない」のあいだに、暗号を一個挟む。これがバンプを邦ロックの精神的支柱にした、原初の感性だ。
ちなみにこの曲、後に綾波レイ役の林原めぐみがカバーしている。
ドレスコーズ「Lily」/「海賊ジェニー」(リリー/ジェニー)
志磨遼平、二段ロケットでランクイン。
「Lily」はドレスコーズ1stアルバム『1』(2012)収録のタイトル系。志磨の作品はとにかく、女性名の解像度が高い。
そして「海賊ジェニー(あるいは女給が見る夢)」(2018)。これがいかにも志磨らしくて、ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』に出てくる劇中歌「ジェニー」の翻案として書かれている。劇中、女給ジェニーは自分を客として軽くあしらってきた男たちを、海賊船の襲来とともに皆殺しにする幻想を歌う。
つまりドレスコーズの「ジェニー」は、ロックンロールの可愛い女の子の名前じゃなくて、復讐の幻想を見る女給の名前なのだ。
これが邦ロックの名前ソングの幅広さである。可愛らしい片想い少女から、戯曲の女給まで全部「名前ソング」のフォーマットに収まる。
フジファブリック「マリアとアマゾネス」(マリア)
ここからは固有名詞の威力が完全に作品の核になっているクラスに入る。
フジファブリック『FAB FOX』(2005)収録の「マリアとアマゾネス」。志村正彦時代の、あのバンドにしか作れなかった奇妙な名曲だ。
「マリアとアマゾネス」というタイトルがすでに反則で、宗教画の聖母マリアと、ギリシャ神話の女戦士アマゾネスが同じ画面に並ぶ。志村の歌詞はだいたい、こういう「文脈の違うものを一行で並べる」異物挿入で成立している。
そしてマリアという名前を選んだことで、この曲は一気に異国感と神話性を獲得した。日本のオルタナバンドが歌う「マリア」は、ほぼ全部が聖母マリアの後光を借りている。マリアという二文字には、それだけで救済と神聖さがパッケージされているからだ。
母音「ア・イ・ア」が全部開いているから、声を張って歌うのにも向く。語感と意味、両方で完璧な名前。フジファブリックがこれを使わない手はなかった。
毛皮のマリーズ「BABYDOLL」(リリー)
バンド名からして寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』由来という、最初から名前で勝負しているバンド。
「BABYDOLL」のサビ、「リリー、春が来たのよ、もう泣かないでいいのよ」というラインの破壊力をご存じだろうか。
リリーという名前は、邦ロックで使われるカタカナ女性名のなかでも、特に「儚い」「華奢」「白い」のイメージを最初から背負っている。百合(リリー)という花のイメージ、Lilyという英語名のお嬢様感、そして儚さ。志磨はそれをわかってこの名前を選んでいる。
「春が来たのよ」――この呼びかけの優しさは、リリーという名前じゃなければ成立しなかった。「ユカ、春が来たのよ」じゃ生活感が出すぎるし、「マリア、春が来たのよ」だと宗教画になりすぎる。リリーがちょうどいい。
志磨遼平が天才なのは、名前一個に対する解像度が異常に高いところだ。
ART-SCHOOL「FIONA APPLE GIRL」(フィオナ)
邦ロック史で「名前ソングといえばこの人」と言わざるを得ない、ART-SCHOOL/木下理樹の独壇場である。
「FIONA APPLE GIRL」。2000年、ART-SCHOOLのインディー時代のEP『SONIC DEAD KIDS』に収録された曲。
歌詞のとんでもなさを、できるだけ素のまま伝える。「フィオナ・アップルが鳴り響く地下鉄に 二十一歳の彼女は身を投げる」――名前は曲のタイトル兼、彼女が地下鉄ホームでイヤホンから聴いていた音楽の人物名(米シンガーソングライターのFiona Apple)。
つまり、この曲の「フィオナ」は二重写しになっている。21歳で身を投げる彼女が聴いていたフィオナ・アップル、そして「彼女=フィオナ・アップル・ガール」というラベルでくくられる、ある一人の少女。
名前を曲のタイトルに置いて、その名前の元ネタのアーティストを「彼女が地下鉄で聴いていた音楽」として歌詞に出す。この技は、たぶん木下理樹しかやっていない。
ART-SCHOOLの初期は、こういう「死を考えている少女と、彼女が聴いているUKオルタナとUSロック」の二重写しで成立していた。フィオナはその最たる象徴だ。
ART-SCHOOL「シャーロット」(シャーロット)
同じくART-SCHOOL、2002年のミニアルバム『シャーロット.e.p.』のリードトラック。
「シャーロット」という名前を、邦ロックでこれだけ完璧に定着させたのは木下理樹ひとりだ、と言い切ってもいい。
この曲が書かれたのは、木下が母を亡くした時期と重なるとされている。だから「シャーロット」というカタカナ女性名は、もはや一人の少女のことだけを指していない。失われた人、失われた何か、失われた誰か、それら全部を集約した、耽美的な少女像としてのシャーロット。
サビで連呼される「シャーロット」のメロディラインの美しさは、邦ロック・カタカナ女性名サビの完成形だ。母音の「ア・ロ・ア」の伸び、子音の「シャ」の柔らかい立ち上がり、語末の「ット」の止まり方。全部が歌として最適化されている。
ART-SCHOOLのファンの間で「いちばん泣ける曲」と聞いたら、たぶん「FIONA APPLE GIRL」か「シャーロット」のどちらかが返ってくる。
ART-SCHOOL「ジェニファー’88」(ジェニファー)
またまたART-SCHOOL。
「ジェニファー’88」。2003年シングル『EVIL』が初出、同年11月発売の2ndアルバム『LOVE/HATE』(東芝EMI)に収録された、ART-SCHOOL中期の代表曲。
木下理樹は、タイトルの由来をこう説明している。映画『ジェニファー8』を観た記憶を元に、1988年生まれの女性を想起しながら歌詞を書いた。だから「ジェニファー’88」。
サビは「ねぇ ジェニファー はぎ取ってくれないか?」。
このサビの強度を、初めて聴いたときの衝撃は今でも覚えている。「ねぇ」というやわらかい呼びかけと、「ジェニファー」という耽美的な外来名と、「はぎ取ってくれないか」という直接的すぎる懇願。三段ロケットで聴き手のメンタルに着弾する。
ジェニファーという名前は、邦ロックの女性名のなかでも特殊な座を占めている。マリアほど神聖でなく、リリーほど儚くなく、レナほど生活感もない。映画的、洋楽的、ちょっと年上、というニュアンス。木下理樹はこれを、1988年生まれという具体的な「年」と組み合わせることで、特定の一人の少女に着地させた。
邦ロックで女性名を曲名にした曲のなかで、もっとも完成度が高い一曲。
番外編:名前に見えて、実は名前じゃない曲
最後に、邦ロックの名前ソングを語るうえで避けて通れない「実は名前じゃない曲」のトリビア枠を置いておきたい。
go!go!vanillas「エマ」(2014)。これ、外国人の女の子の名前みたいに見えるが、実は違う。作詞作曲を担当した牧達弥(ベース)が、雑誌インタビューで明確に説明している。
「一見、外国人の女の子の名前みたいなタイトルですけど、実は”emergency”っていう”緊急事態”という意味を持つワードから取った言葉なんです」
「エマ」は「エマージェンシー」の略。完全に名前ソングだと思って聴いていた人、全国に何万人いただろうか。僕は普通に名前だと思っていた。すみません。
フレデリック「オドループ」も、似たような誤解をされやすい。タイトルの「オド」だけ切り取って「マリ?マリちゃん?」と勘違いする人がいるが、曲名は「踊る+ループ」の造語で、歌詞のどこにも女性名は出てこない。フックは「踊ってない夜を知らない」。
フジファブリック「陽子」という曲名も、ネット上で名前ソングとして紹介されているのを見かけることがあるが、公式ディスコグラフィにも歌詞サイトにも該当曲は存在しない。一番近い曲名は「陽炎」で、こちらは自然現象であって人名ではない。要注意。
ナンバーガール「透明少女」、THE BLUE HEARTS「リンダ リンダ」あたりも、純粋な「特定の女性名ソング」とは趣旨が違う。前者は「少女」一般を指す象徴詞、後者は「愛するものすべて」への賛歌として書かれていて、リンダという特定の女性を指しているわけではないとされている。
つまり邦ロックの「名前っぽいタイトル」は、半分くらいフェイクだということだ。本物の名前ソングを見極めるには、歌詞をきちんと読まないといけない。
結論:名前は、いちばん安いのにいちばん効く魔法
ここまで10曲+番外編を駆け抜けてきて、見えてきたことが3つある。
ひとつ、邦ロックの女性名は、圧倒的にカタカナ外来名が多い。マリア、リリー、ジェニファー、シャーロット、フィオナ、ローラ。実在の知り合いを連想させない、フィクション側に半歩寄せた名前ほど、ロックは好む。
ふたつ、和名は使う側にかなりの覚悟がいる。「ハツミ」「レナ」と歌った瞬間、曲は私小説になる。逃げ場がなくなるぶん、決まれば強い。川谷絵音はそれを承知でやっている。
みっつ、「名前ソング」を多用するバンドには、明らかに作家性がある。ART-SCHOOL(木下理樹)、毛皮のマリーズ/ドレスコーズ(志磨遼平)、indigo la End/ゲスの極み乙女(川谷絵音)――この三人の作家は、固有名詞で物語を立ち上げる技術を、邦ロックで他の追随を許さないレベルで磨き上げた。
「君」と歌えば誰のことでもない。でも「ジェニファー」と歌った瞬間、そこに一人の少女が現れて、聴き手の数だけ別々のジェニファーが立ち上がる。
固有名詞は、抽象を一瞬で具体に変える魔法のスイッチだ。
次に邦ロックを聴くとき、「なんでこのバンドはこの名前を選んだのか」という視点で歌詞を読んでみてほしい。曲の解像度がぐっと変わる。たぶん、その曲が長く愛される理由が、名前一個に詰まっていることに気づくはずだ。
ではまた。

