売れる前に聴いてたマウント、本当にダサい。
正直に言うと、僕も昔やってた。
好きだったインディーバンドがテレビ出演を果たしてバズり始めたとき、SNSで「いや、もう2年前から聴いてたんだけどね」と匂わせる投稿。新規ファンがキャッキャしているタイムラインを眺めながら、「わかってないな、あの頃の彼らが一番良かったのに」と独りごちる夜。古参であることを証明するために、CD音源のサブスクに無い曲をわざわざ言及して「通」アピールする。
全部やった。そして全部、今振り返ると死ぬほどダサい。
音楽好きなら一度は通る道かもしれないけど、いい加減この「売れる前に聴いてたマウント」文化、集団的に卒業しませんか、という話を今日はしたい。ちなみにこの記事は、過去の自分にも向けて書いている。自省。懺悔。自己批判。そういう気持ちで読んでもらえると幸いだ。
そもそも「売れる前マウント」とは何か
定義から入ろう。
「売れる前マウント」とは、あるアーティストがブレイクした瞬間に、既存のファンが新規ファンに対して「いや、自分はもっと前から知っていた」という先行優位性を誇示する行為全般を指す。
具体例を挙げると、こんな感じ。
- 「〇〇、最近みんな聴いてるけど、自分は2018年のライブハウスツアーから追ってる」
- 「今のシングルもいいけど、やっぱり初期のEPが一番だよね」
- 「バンド名変える前のプロジェクトから聴いてたわ」
- 「〇〇が日本武道館でやるまで応援してきた。感慨深い」
- 「このバンド、海外配信も出してないアルバム持ってる」
ね、胸が痛くなってきたでしょう。自分もそうだし、周りにもいる。音楽好きを自認するリスナーであればあるほど、この症状は重くなる傾向がある。
これ、別に誰かに物理的な危害を加えているわけじゃない。でも、**文化として、コミュニティとして、音楽そのものへの愛として、明確に毒**なのだ。今日はその理由を順に解剖していきたい。
症状①——新規ファンを”格下”として扱う醜悪さ
まず最大の問題は、新規ファンに対する無自覚な見下しが発生することだ。
考えてみてほしい。あるアーティストが紅白に出たり、Spotifyのバイラルチャートに入ったりした瞬間、それを知ってファンになった人たちは「悪いこと」をしたわけじゃない。むしろ、そのアーティストにとって最高に嬉しい出来事のはずだ。リスナーが増えた。聴いてくれる人が増えた。CDが、ライブチケットが売れる。音楽活動が持続可能になる。
なのに、なぜか既存ファンの一部は、この「リスナー拡大」を喜ばない。それどころか、新しいファンに対して「にわか」「ミーハー」「今だけのファン」というレッテルを貼りたがる。
これ、冷静に考えるとめちゃくちゃ変な現象だ。「自分の好きなアーティストが売れてほしい」と「売れたら今のファンが新規ファンを見下す」が、同じ人間の中で矛盾なく共存している。応援しているのか、していないのか、どっちなんだ。
結論から言うと、これは「アーティスト応援」ではなく、「自分が音楽通であることの自己承認」という別の目的にすり替わっているのだ。新規ファンをマウントで牽制することで、「自分のほうが音楽をわかっている」というセルフイメージを守っている。アーティストではなく、自分のアイデンティティを守っている。
で、それって、アーティストのためには全くなっていない。ファンコミュニティの空気を悪くして、新規ファンが参入しにくい排他的な場所を作っているだけだ。アーティスト本人が望んでいるはずがない。
症状②——「古いほど偉い」という謎ルール
次の問題。「古くから知っているほど、そのアーティストを語る権利がある」という暗黙のヒエラルキーが発生すること。
これ、本当に意味不明なルールなんだけど、音楽オタクの世界では驚くほど浸透している。デビュー前のデモ音源を持っている人、初期ライブハウスに通っていた人、レーベル移籍前の音源を聴いていた人——そういう「時系列上の先行者」が、ファンコミュニティの中で謎の権威を持つ。
でも、考えてみてほしい。「知った時期」と「愛の深さ」には、本質的に何の関係もない。
2024年に初めてその曲を聴いて、毎日リピートして、歌詞を暗記して、ライブに通い詰めるファンと、2010年から名前だけ知っていて、ベスト盤を1回聴いただけで満足しているファンがいたとしたら、どちらが「本当のファン」なのか。答えは明らかだ。
なのに、時系列マウントの世界では前者が「にわか」で、後者が「古参」として扱われる。こんな狂った評価軸、他にあります?
いや、ある。ヒップホップシーンにも「old head / new head」論争があるし、サッカーファンコミュニティでも「昔からのサポーター vs ミーハー」構図はある。でもそれらと同じぐらい、音楽ファンダムの時系列マウントは根深い。
僕は、知った時期なんか1ミリも関係なくて、今、その音楽にどれだけ心を揺さぶられているかがすべてだと思う。昨日初めて聴いた曲で泣けるなら、そのファンは5年前からのファンより深くその曲を愛している。それだけの話だ。
症状③——アーティストの成長を否定する「初期厨」
これも古参あるある。「やっぱり初期が一番」症候群。
アーティストが活動を続ける中で、音楽性が変わるのは当然だ。経験を積んで技術が上がる、機材が変わる、メンバーが変わる、人生のフェーズが変わる——そういう変化のすべてが、音楽に反映される。デビュー時と10年後で音楽性が変わっていない方が、むしろ不自然だ。
なのに、一部の古参ファンは「初期の荒削りな感じが良かった」「メジャーデビューして丸くなった」「1stアルバムを超えるものはもう出ない」と、アーティストの成長を認めようとしない。
これ、何が問題って、アーティスト本人の現在進行形の創作を否定しているということ。あなたが「初期のほうが良かった」と言っているそのアーティストは、今日も新しい曲を作っている。新しい表現を模索している。そのプロセスを「昔のほうが良かった」で切り捨てるのは、愛でもリスペクトでもない。過去のある時点の自分の思い出に酔っているだけだ。
もちろん「初期の音楽性のほうが好み」という嗜好は個人の自由だ。それは全然いい。問題は、それを優劣の基準として振りかざすこと。「初期が好きな自分=本質を理解しているファン」「最近のアルバムを評価する人=わかっていないファン」という構図を作ること。
RADIOHEADが『Kid A』でエレクトロニカに振り切ったときも、「やっぱり『OK Computer』が最高」と言い続けた人はいた。でも歴史は『Kid A』を彼らの最高傑作の一つとして位置付けている。ファンが「初期が最高」と言い続けている間に、アーティストは遥か先に行っている。
なぜ人は売れる前マウントをしたくなるのか
ここまで散々批判してきたけれど、じゃあなぜ僕たちはこの罠にハマるのか。これをちゃんと掘らないと、ただの説教で終わってしまう。
理由は、心理学的に言えばシンプルだ。自己のアイデンティティを、消費する音楽と同一視しているから。
「自分はこのアーティストを早くから知っていた」という事実は、「自分は音楽的センスが鋭い」というセルフイメージを補強する。アーティストが売れれば売れるほど、「やっぱり自分の耳は確かだった」という自己肯定感が得られる。つまり、アーティストの成功を通じて、自分を褒めているのだ。
これが悪質なのは、本人が気づきにくいこと。「自分はこのアーティストを応援している」という自己認識で行動しているから、まさか自分が「アーティストをダシに使って自己承認している」なんて思わない。でも構造を解剖すると、そうなっている。
心理学者のキース・オトリーが提唱する「自己拡張理論」という概念がある。人は他者や文化的対象と同一化することで、自己の輪郭を拡張しようとする。推し活、スポーツチーム応援、ブランド愛、全部そうだ。音楽ファンダムもこの構造に組み込まれている。
だから「売れる前マウント」は、悪意ある行動というより、自己拡張の欲求が歪んだ形で発露したものだ。それを理解した上で、「自分もやりがちだな」と気づくことが、最初のステップになる。
古参アピールが、アーティストを蝕むという現実
ここ、真面目に書いておきたい。
実はアーティスト本人も、古参マウント文化を嫌っているケースが多い。というか、アーティストほど新規ファンの流入を渇望している存在はない。
理由は単純で、音楽業界は基本的に厳しい世界だから。CDは売れない、ストリーミングの分配額は微々たるもの、ライブツアーの利益も限られる。その中で活動を続けるには、ファンベースを継続的に拡大する必要がある。既存ファンだけでは食っていけない。
そんなときに、既存ファンが新規ファンに対して「にわか」「ミーハー」と攻撃的な態度を取ったら、どうなるか。新規ファンはファンダムから離れていく。コミュニティが縮小し、アーティストの持続可能性が下がる。古参ファンの満足感のために、アーティストの未来が犠牲になる。
この構図、本当に皮肉だ。「このアーティストを一番愛している」と自負している古参ファンが、実は「このアーティストの未来を最も邪魔している」なんてことが、平気で起こる。
だからアーティストは、しばしばインタビューで「新しいファンの方もぜひ来てください」「古いも新しいも関係ないので、気軽に楽しんでください」と発信する。あれ、単なる社交辞令じゃなくて、古参マウントに対する遠回しの牽制であることが多い。ちゃんと読み取ってあげましょう。
「売れる前」を物差しにする時代は終わっている
もう一つ、構造的な話をしたい。
そもそも「売れる前から聴いていた」というマウントが成立していた時代と、現代はメディア環境が根本的に違う。
昔は「売れる前に知る」ためには、情報源が限られていた。深夜ラジオ、ライブハウス、音楽雑誌、口コミ、レコード屋の店員の推薦。これらにアクセスできる人だけが、「まだ誰も知らない良いバンド」を掘り当てられた。だから「早く知っていた」ということには、ある種の情報アクセス能力・音楽的感度の証明としての意味があった。
でも今は違う。SpotifyやApple Musicのレコメンドアルゴリズム、TikTokのバイラル、YouTubeの関連動画——こういった仕組みによって、新しい音楽との出会いは劇的に民主化された。ある日のPC作業中に突然おすすめに出てきたアーティストが、3ヶ月後に紅白に出る、みたいなことが普通に起こる。
この時代に、「売れる前から聴いていた」という事実の意味は、相当に薄くなっている。偶然、アルゴリズムに先に見つけられただけかもしれない。それを「自分の耳の良さ」として誇るのは、もうかなり無理がある。
時代が変わったのだから、マウントの物差しも変えた方がいい。「いつ知ったか」ではなく、「どれだけ深く付き合っているか」。前者は運の要素が大きいけれど、後者は確実にそのリスナーの行動と愛情を反映している。
じゃあどうすればいいか
ここまでひたすら批判してきたけれど、代案を出さないと単なる愚痴で終わる。じゃあ、音楽好きとして、どう振る舞えばいいのか。
一つ目のご提案:「知った時期」を誇るのをやめて、「今どう聴いているか」を語る。
「2018年から聴いてる」ではなく、「今月はこの曲を200回聴いた」「このアルバムを朝ごはんのときに必ず流している」「歌詞のこの一節が、最近の自分の心境とリンクしている」——こういう話のほうが、圧倒的に面白いし、何より愛が伝わる。時系列より濃度。これをモットーにするといい。
二つ目:新規ファンに対して、情報をシェアする姿勢を持つ。
バズったアーティストに新規ファンが殺到したとき、古参ができる最高の振る舞いは「マイナー曲のおすすめリスト」「ライブでの名シーン集」「過去のインタビュー抜粋」などを気前よくシェアすることだ。「自分だけが知っている良さ」を抱え込むのではなく、広げていく。これができる古参は、コミュニティから本当にリスペクトされる。
三つ目:自分が「初期厨」になっていないか、定期的に自己点検する。
好きなアーティストの新譜を聴いて「昔のほうが良かった」という感想が先に出てきたら、危険信号。それは作品への評価ではなく、自分の過去の思い出への愛着を語っているだけかもしれない。一旦フラットに、作品そのものと向き合う時間を取る。これ、本当に大事。
結論——音楽ファンの最低限のマナーとして
「売れる前に聴いてたマウント」は、一見小さな問題に見えるかもしれない。でもこれ、音楽ファンダムの健全性を蝕む、かなり根深い毒だと僕は思う。
アーティストの未来を邪魔し、新規ファンを追い払い、コミュニティを排他的にし、そしてマウントする本人を醜くする。誰も得しない。唯一得られるのは「自分は音楽通だ」という歪んだセルフイメージだけで、それすら他人から見たら滑稽に映っている可能性が高い。
じゃあどうするか。シンプルだ。「自分は何年前から知っている」ではなく、「自分はこの音楽をこんなに愛している」で語る。それだけで、コミュニティの空気は劇的に変わる。
音楽は、早く知った人が偉いんじゃない。深く愛した人が、一番その音楽に近い。これ、当たり前すぎる真実なんだけど、マウントの誘惑に負けそうになったとき、思い出してほしい。
ついでに、僕自身にも言い聞かせておく。過去のダサかった自分よ、二度とあの頃に戻らないようにしよう。売れる前の自慢話を飲み屋でする代わりに、今月ハマった曲を熱量込めて語る人間になりたい。そのほうが、単純に格好いい。
そして何より、その方が、音楽が楽しくなる。マウントに消耗していた時間を、音楽そのものに注げるようになる。これは本当にそう。
だからお願いです、音楽好きの皆さん。「売れる前に聴いてた」マウント、そろそろ卒業しましょう。音楽ファンダムの未来のために、そしてあなた自身の魅力のために。

