音楽のジャンル多すぎてついていけない説
こんにちはmonaです。
最近、音楽の話をしていて困ることがある。
「このバンド、どんなジャンル?」と聞かれて、答えに詰まる。ロックでもあるし、ポップでもあるし、エレクトロ要素もあるし、ちょっとヒップホップっぽい部分もあって……説明している間に、相手の目が遠くなっていく。
Spotifyのジャンルタグを見てみると、もはや狂気の領域だ。「indie rock」「bedroom pop」「lo-fi」「hyperpop」「dream pop」「shoegaze」「math rock」「post-rock」「emo revival」——ここまでは百歩譲って許せる。でも「Finnish melodic death metal」とか「Japanese city pop revival」とか「Swedish dungeon synth」みたいな、国名+ジャンル+派生形みたいな組み合わせが無限に増殖している。
ジャンルはなぜこんなに細かくなったのか
昔は、もっとシンプルだった。ロック、ポップ、フォーク、ジャズ、クラシック、ヒップホップ、R&B——これで大体事足りた。派生があっても、せいぜい「ハードロック」「パンクロック」「オルタナティブロック」くらい。
でもストリーミング時代に入って、状況が一変した。
SpotifyやApple Musicのような配信プラットフォームは、リスナーに曲をレコメンドするためにジャンル分類を極限まで細分化している。アルゴリズムが「この人はこういう音が好き」と推定するためには、「ロック」みたいな大雑把なタグでは全然足りない。「ラテン調のギターが入ったベッドルームポップ」とか、「2010年代中盤のインディーフォーク」とか、もっと詳細な情報が必要になる。
その結果、ジャンルは「リスナーのためのラベル」から「アルゴリズムのためのメタデータ」へと変質した。
さらに、Bandcampやインディー系メディアでは、アーティスト自身が自分の音楽にジャンル名をつけることが多い。「誰もやってない音楽だ」とアピールするために、既存のジャンル名を組み合わせて新しい名前を作る。それがまた拡散されて、新しいジャンルとして定着していく。
こうして、ジャンルの総数はもはや誰も把握できないレベルになった。ある統計では、Spotifyが認識しているジャンルは6000を超えているという。
「ジャンル」が機能しなくなった瞬間
ここで正直に書きたい。もうジャンル名、機能してない。
いや、完全に機能していないわけではない。音楽の専門家や熱心なリスナーにとっては、細かいジャンル名は「その音楽がどの系譜に属するか」を示す便利なマップだ。「ポスト・ハードコアが好きなら、スクリーモも聴いたら?」みたいな情報は、ジャンルが機能してこそ成立する。
でも一般のリスナーにとって、「hyperpop」と「bubblegum bass」の違いを語れる人が何人いるだろうか。「neo-soul」と「alternative R&B」を明確に区別できる人は?
多くの人にとって、音楽を選ぶときの軸はもはやジャンルじゃない。「気分」「シチュエーション」「時代」「誰と聴くか」——Spotifyの公式プレイリストも、ジャンル別より「朝のコーヒータイム」「集中したいとき」「運動中」みたいな状況別の方が人気だ。
つまり、音楽の消費者は「ジャンルで選ぶ」ことをやめつつある。
アーティスト側も困っている
細分化されたジャンルに翻弄されているのは、リスナーだけじゃない。アーティストも同じだ。
あるインディーバンドのインタビューで、こんな発言があった。「自分たちの音楽を説明するために、もうジャンル名を使うのをやめた。ロックでもあり、エレクトロでもあり、フォークでもあるから。説明すると長くなるから、最近は『聴いてみてください』って言うようにしてる」
これは象徴的だ。ジャンル名が細分化しすぎて、逆に自分の音楽を説明できなくなっている。
特に現代のアーティストは、最初から複数のジャンルを混ぜて作るのが当たり前になっている。米津玄師、Vaundy、imase、藤井風——彼らの音楽を「これは〇〇ジャンルです」と一言で説明できる人はいないはずだ。それぞれの曲で表情が違うし、キャリア全体で見てもジャンルを横断している。
ジャンルという「枠」が先にあって、そこに当てはめる時代は終わった。
それでもジャンル名が必要な場面
ただし「ジャンル名はもう不要だ」と言い切るのも違う気がする。
音楽の歴史を辿るとき、ジャンルは便利な道標になる。「1970年代のプログレッシブロック」と言えば、ある時代のある音楽傾向がすぐに思い浮かぶ。「90年代のグランジ」「2000年代初頭のエモ」「2010年代のEDM」——時代と音楽を結びつけるとき、ジャンルは有効に機能する。
また、コミュニティを形成するときにもジャンルは役立つ。「シューゲイザーが好きな人が集まるイベント」「マスロックに特化したライブハウス」——こういう場所は、ジャンルという共通言語があるからこそ成立している。
問題は、ジャンルが「細かすぎる」ことと「増えすぎている」ことだ。
ジャンル疲れの時代に、どう音楽と付き合うか
個人的な結論を言うと、ジャンル名を正確に覚える努力はもうやめていいと思う。
代わりに、「この音、好き」「この雰囲気、好き」という感覚を大事にする方が健全だ。ジャンル名を知らなくても、音楽は楽しめる。むしろジャンルに縛られないことで、普段聴かないような音楽にも手が伸びるようになる。
Spotifyの「好きな曲から似た曲を探す」機能や、YouTubeの関連動画が便利なのは、ジャンルという概念を経由せずに「音の類似性」で音楽を繋げてくれるからだ。リスナーにとっては、ジャンルより直感的な繋がりの方が使いやすい。
アーティストへの質問も、「ジャンルは何ですか?」より「誰に影響を受けましたか?」の方が、より深い話になる。影響元を聞けば、その人の音楽の系譜が見えてくるし、リスナーも新しい音楽との出会いに繋がる。
それでも新しいジャンル名は生まれ続ける
ここまで「ジャンル多すぎ」という愚痴を書いてきたけど、たぶんこれからも新しいジャンル名は生まれ続ける。
なぜなら、人間は「名前をつける」のが好きだからだ。新しい音楽の動きが起きたとき、そこに名前をつけることで、それが「ひとつのムーブメント」として認識される。ジャンル名は、音楽をアーカイブし、歴史を記述するための道具でもある。
「hyperpop」「phonk」「drill」——2020年代に入ってから定着したジャンル名を見ると、それぞれがきちんと時代を反映している。インターネット文化、サブカルチャー、SNSの影響——そういうものがジャンル名に結晶化している。
だから、ジャンル名が増えすぎていることに文句を言いつつも、たぶん私たちはこれからも新しいジャンル名を面白がって受け入れ続けるんだろう。
ジャンルは「地図」であり「呪い」でもある
音楽のジャンル名は、便利な地図だ。でも地図が細かすぎると、かえって道に迷う。
6000を超えるジャンル名に全部ついていく必要はない。自分が好きな音楽を説明するのに必要な、最低限のジャンル名だけ知っていればいい。残りは「なんか良い感じの音」でも「このアーティストっぽい音」でも、どんな雑な表現でも構わない。
音楽は分類するためにあるんじゃなくて、聴いて楽しむためにある。ジャンル名の海に溺れそうになったら、いったん全部忘れて、好きな曲を再生しよう。
ではまた。

