WHITE ASH | 意味を捨てた英語詞で、ここまで殴れるという証明
このバンド、成り立ちが全部借り物だ。
2006年1月、大学の軽音部内で結成。当初はアークティック・モンキーズのコピーバンドだった。バンド名の「WHITE ASH」は、the pillowsの楽曲名から取られている。アルバム『RUNNERS HIGH』収録のあの曲。しかもライブの登場SEにも、その原曲をそのまま使っていた。
音楽性は英国からの借り物。名前は先輩バンドからの借り物。登場SEに至っては原曲そのもの。
普通なら、ここまで借りていると「二番煎じ」で終わる。
が、終わらなかった。2012年7月4日にリリースされた1stフルアルバム『Quit or Quiet』は、借り物の集積から始まったバンドが、明確に自分の音を掴んだ瞬間の記録になっている。
総評 ── 歌詞を捨てたバンドの強さ
WHITE ASHの楽曲について、公式にこう説明されている。歌詞は語感を重視しており、意味を持たない楽曲がほとんどである、と。
言い切っている。意味は無い、と。
これ、日本のロックバンドとしてはかなり異例の立場表明だ。
日本語ロックの歴史は、乱暴に要約すれば「歌詞で何を言うか」との格闘の歴史だった。日本語をロックのビートに乗せる問題、詞に文学性を持たせる問題、リスナーが歌詞を読み込んで感情移入する構造。そういうものが積み重なって、いまの邦ロックがある。
WHITE ASHはそこから完全に降りている。降りたうえで、語感だけで押し切る。
結果として何が起きるか。ボーカルが完全に楽器になる。
意味を伝える責務から解放された声は、リズムとメロディの純粋な担い手になる。子音の切れ味、母音の伸び、フレーズの跳ね方。それらが全部、アンサンブルの一部として設計できる。
『Quit or Quiet』が、リリースから10年以上経ったいまも古びて聞こえないのは、たぶんここに理由がある。歌詞のメッセージは時代とともに古びるが、語感は古びにくい。
そして、このアルバムのすごいところは、それでいて曲が全部キャッチーであることだ。意味が無いのに耳に残る。むしろ意味が無いから耳に残る。
11曲36分、1曲あたり平均3分ちょっと。無駄がない。
Jails
1曲目から掴みにいく。海外メディアの評でも、ざらついたモダン・ハードロックとして真っ先に名前が挙がっていた曲だ。牢獄というタイトルで幕を開けるアルバムが、その後どこにも閉じこもらないのが面白い。ここは素直に強い。
Paranoia
2011年11月に生産限定の1stシングルとして発売され、わずか1週間で売り切れた曲。それを2曲目に置いている。既発の弾を序盤に切る配置で、当時の勢いを知っている人間には効く。シングル曲がアルバムの中で浮いていない、という当時のリスナー評は、この配置の妙も含んでいると思う。
Mosquito
蚊。1曲目が牢獄、2曲目が偏執症、3曲目が蚊。序盤3曲のタイトルの並びに、全く統一感がない。だがこれこそが語感優先の証拠でもある。意味で並べていないから、こういう並びになる。ちなみに後のワンマンライブではこの曲が1曲目に置かれており、ライブ映えする曲であることが窺える。
Flashback
序盤の勢いを引き継ぐ位置。4曲目にして、まだアルバムは減速しない。11曲36分という尺の中で、前半に休憩地点を作らない構成は攻めている。
Elsie Cries Quietly
ここでアルバムが初めて速度を落とす。当時のリスナー評でも、中盤でゆっくり聴かせるサウンドに変わる曲として名前が挙がっていた。
そして注目してほしいのが、この曲名に含まれる「Quietly」だ。アルバムタイトルが『Quit or Quiet』である。Quit(やめる)かQuiet(静か)か、という二択のタイトルに対して、5曲目で静かに泣く女の名前が出てくる。
意味は無い、と公式には言っている。だが配置には意味がある。ここは刺さる。
Deadmans On The Dancefloor
海外メディアの評では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ的なパンク・ファンクと、後期レッド・ツェッペリンのプログレ的な要素を接続した曲として紹介されていた。前曲で落とした温度を、ここで一気に上げ直す。ダンスフロアの死者たち、というタイトルの語感も良い。中盤の起爆装置だ。
Orchid
蘭。前曲の喧騒の直後に、花の名前が1語だけ置かれる。タイトルが短くなるほど、このバンドの語感重視の姿勢が露骨に出る。意味ではなく、その2音節が欲しかっただけ、という顔をしている。
Kiddie
2012年2月にリリースされた2ndシングル。各地のFM局でも展開された曲で、つまりこのアルバムの中で最も外向きの1曲である。それを8曲目に置いている。
シングル2枚を2曲目と8曲目に分散させたのは、明確な設計だ。前半と後半にそれぞれ既発の錨を打って、その間を新曲で埋める。1stフルアルバムの組み方として、これは正しい。
Last Scene Of My Favourite Film
終盤の入口で、アルバム中で最も長いタイトル。当時のリスナー評では、しっとりとした演奏が心地良い曲として挙げられていた。
お気に入りの映画のラストシーン、という言葉を9曲目に置く。アルバム自体はまだ2曲残っている。終わりの話を、終わりの手前でする。この配置の意地悪さは、5曲目と同じ種類のものだ。
There Changed Me Special
文法が完全に壊れている。There Changed Me Special。主語も時制も目的語の位置もおかしい。だがこれを「英語ができない」と笑うのは的外れで、意味を捨てると宣言しているバンドにとって、文法の正しさは最初から評価軸に入っていない。
音の並びとして気持ちいいかどうか。それだけだ。この割り切りは、いっそ清々しい。
Giant Skips
そしてラスト。巨大な跳躍、という語で締める。
1曲目が牢獄で、最後が跳躍。意味は無いはずなのに、こうして並べると勝手に物語が立ち上がる。これが語感優先の逆説的な効果で、意味を書き込まないぶん、聴き手が勝手に意味を作る余地が生まれている。
11曲36分を走り切って、最後に跳ぶ。1stアルバムの終わり方として、これ以上のものはなかなか無い。
良かった点
まず、捨て曲が無い。
これは当時のリスナー評でも繰り返し言われていたことだが、11曲36分という凝縮された尺の中に、明確な弱点曲が見当たらない。しかもシングル2曲がアルバムの中で浮いていない。シングルとアルバム曲の質が拮抗しているというのは、1stフルアルバムとしてはかなり珍しい状態だ。
次に、ボーカルの位置づけ。
歌詞から意味を抜いたことで、声がアンサンブルの一部として完全に機能している。日本語で意味を伝えようとすると、どうしても音節数の制約とメロディの制約がぶつかる。その戦いを最初から放棄して、語感だけで組み立てた。潔い。
そして、既発曲の配置。前述の通り、シングル2曲を2曲目と8曲目に振り分けている。前半と後半に錨を打つ設計で、アルバム全体の重心が安定している。
ROCKIN’ON JAPANの編集部が、発売前にこのアルバムについて「このアルバムでようやくWHITE ASHというバンドが見えた気がする」と書いていたのも頷ける。ミニアルバム2枚とシングル2枚を経て広がった世界観が、1枚の中に収まっている。
物足りなかった点
ここは正直に書く。
このアルバムの出自の話に戻るが、参照元が明確すぎる。アークティック・モンキーズから始まり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ的なファンクネスがあり、ツェッペリン的な展開もある。海外メディアの評でも、そういう補助線が普通に引かれていた。
作品としての完成度は高い。だが「このバンドにしか鳴らせない音」がどこにあるのか、と問われると、答えるのが少し難しい。UKバンドの影響を色濃く受けながら日本人ならではの繊細な感覚で洗練させた、という後年の評価は的確だが、裏を返せばその洗練が個性の輪郭を曖昧にしている面もある。
もうひとつ、これは構造上の限界の話だ。
歌詞に意味を持たせないという方針は、この1stでは完全に武器として機能している。だが長いキャリアで見たとき、聴き手が深く潜る取っ掛かりを自ら手放しているとも言える。実際、後年の彼らは全編日本語詞の楽曲も手掛けるようになる。
意味を捨てた鮮烈さと、意味を持たせたときの深さ。その両方を1枚で見せる作品ではない。ここは惜しい。
どんな人に刺さるか
ゼロ年代後半から2010年代前半のUKロックに引きずられた人。ボーカルを楽器として聴くタイプのリスナー。歌詞カードを読まずにアルバムを回せる人。そして、11曲36分で終わる潔いアルバムを求めている人。
逆に、歌詞に感情移入して聴くタイプの人には、たぶん物足りない。このアルバムはそこに何も用意していない。
評価
8.5点。
11曲36分に一切の緩みが無い構成、シングルの配置、そして意味を捨てた英語詞という戦略の徹底ぶり。1stフルアルバムとして、ほぼ理想的な仕上がりだ。
減点は、参照元の見えやすさと、意味を捨てたことの代償。ここが埋まっていれば9点台に乗っていた。
名盤である。ただし、完璧な名盤ではない。
そして9年後、三つ目の選択肢が出てきた
WHITE ASHは2016年12月22日に解散を発表し、2017年3月31日に解散した。理由は公表されていない。
やめるか、静かにするか。1stアルバムのタイトルがそう問いかけていたバンドが、本当にやめた。意味は無いはずの言葉が、後から意味を持ってしまった。ここまでなら、皮肉としてよくできた話で終わる。
終わらなかった。
2026年3月31日、WHITE ASHが再始動を発表した。解散した日から、ちょうど9年後の同じ日付である。
再始動ワンマンは2026年8月9日、東京・新宿LOFT。タイトルは「SHINJUKU LOFT 50th ANNIVERSARY WHITE ASH One Man Live 2026 GO BACK TO WHITE」。開場16時、開演17時、チケット5,500円(税込)。新宿LOFTの50周年企画の一環でもある。
集結したのは、オリジナルメンバーののび太(Vo/Gt)、山さん(Gt)、彩(Ba)の3人。ドラムの剛は現在別の道を歩んでおり参加していないが、再始動に向けて祝福のコメントを寄せている。サポートドラマーとしてHAZEの大宮洋介が入る。
さらに同年10月3日には、新宿LOFT初の都市型サーキット「SHINJUKU LOFT 50th CIRCUIT 2026」への出演も発表されている。歌舞伎町の9会場に総勢60組以上が集まる企画で、ここにはギターの山さん、こと山岡トモタケが中心となるFLAMYNGSも名を連ねている。
つまり、やめるか静かにするかの二択に、9年かけて三つ目の答えを出してきたわけだ。
締め
意味を捨てたバンドが、意味ありげな日付で帰ってきた。
3月31日に解散して、9年後の3月31日に再始動を発表する。語感だけで歌詞を書いてきた人たちが、こういうところだけは律儀に意味を作ってくる。
そしてイベントの名前が「GO BACK TO WHITE」だ。白に帰れ。バンド名の由来がthe pillowsの曲名で、その曲名が白い灰である以上、この言葉は「最初に戻れ」という宣言に他ならない。
再始動の1回目に何を演奏するのかは、まだわからない。ただ、1stアルバムのタイトルを問い直すような場所に彼らが立つのは間違いない。
だからこそ、いまこの『Quit or Quiet』を聴き直す意味がある。
聴くなら1曲目から順番に。歌詞カードは開かなくていい。牢獄から始まって、跳躍で終わる36分を、ただ音として浴びてほしい。
そして跳んだ先に、9年分の空白があって、その向こうに新宿LOFTがある。
ではまた。

