音楽ジャンルの名前には、たいてい何かしらの意味が込められている。

シューゲイザーは足元のエフェクターを見つめる姿から。グランジは汚れという語から。メロコアはメロディック・ハードコアの略。ハードコアは筋金入りという意味。どれも音楽性や態度を、それなりに反映している。

オイパンクの「オイ」は、違う。

Oi! というのは、古いロンドンっ子の表現で「やあ」とか「こんにちは」を意味する。ただの挨拶である。

ジャンル名が挨拶。しかもそれを名付けたのはバンドの誰でもなく、音楽ジャーナリストだ。

要するにオイパンクとは、他人に名前をつけられ、その1年半後には他人に思想までつけられた、極めて気の毒なジャンルなのだ。

今日はその話をする。オイパンクとは何かという説明記事でもあるが、それ以上に「ジャンル名を他人に握られるとどうなるか」という話として読んでほしい。

名付け親は、雑誌の記者だった

1980年、イギリスの音楽誌Soundsに、あるロックジャーナリストが記事を書いた。ゲイリー・ブッシェル。

彼はイースト・ロンドンを中心に生まれていたパンクの一派を「Oi!」と名付けた。名前の出どころは、コックニー・リジェクツのボーカル、スティンキー・ターナーが曲を紹介するときに発していた掛け声である。

それだけだ。バンドが宣言したわけでも、シーンが議論して決めたわけでもない。ステージ上の一言を、記者が拾ってジャンル名にした。

それ以前、この音楽スタイルは別の呼ばれ方をしていた。ストリートパンク、ニューパンク、リアルパンク。時期によってはストリートロック、ストリートロックンロールとも呼ばれた。

つまり現場には、すでに複数の呼び名があった。そこにブッシェルが「Oi!」を投げ込んで、それが定着した。

ちなみにブッシェルは単なる観察者ではなく、コックニー・リジェクツのマネージメントにも関わっている。1980年11月には自らコンピレーション『Oi! The Album』を編集した。ジャーナリストであり、プレイヤーの側でもあった人物だ。

何がオイパンクなのか

音楽的な定義は、実はそれほど難しくない。

初期に明確にOi!と認識されたバンドとして挙がるのは、コックニー・リジェクツ、エンジェリック・アップスターツ、フォー・スキンズ。そこにザ・ビジネス、ブリッツ、ザ・ブラッド、ザ・ラストリゾート、コンバット84、インファ・ライオットなどが続く。

先行者としてはシャム69がいる。1975年結成で、フットボールのテラスで歌われるチャントとパンクの攻撃性を融合させたバンドだ。

この「フットボールのテラス」というのが、Oi!を理解する上でいちばん重要なキーワードだと思う。

1976年から1977年のパンク爆発が一段落した後、パンクの一部は商業化し、一部はポストパンクとして実験性を深めていった。アートスクール的な、頭のいい方向である。

Oi!はそこから明確に降りた。

歌えること。一緒に叫べること。パブで、あるいはサッカーのスタンドで、酔っ払いが肩を組んで合唱できること。それが最優先事項になった。

だから曲は単純で、コーラスは反復し、サビは掛け声で構成される。技巧はいらない。むしろ邪魔になる。

歌詞の主題は、失業、労働者の権利、警察をはじめとする権威からの嫌がらせ、政府による抑圧。そしてそこに、路上の暴力、サッカー、酒、セックスが混ざる。

高尚な話は一切しない。目の前の生活の話しかしない。

ブッシェル自身の言葉を借りるなら、Oi!が語っていたのは階級だけだった、ということになる。

そして、1年半で炎上する

ここからがオイパンクの受難だ。

1981年7月、ロンドン西部サウソールのパブ、Hambrough Tavernで、ザ・ビジネス、ザ・ラストリゾート、フォー・スキンズによるコンサートが行われた。

このとき、観客の一部が会場周辺に国民戦線のスローガンを落書きした。それを見たアジア系の青年たちが、ネオナチが集まっていると受け取り、火炎瓶を投げ込んだ。パブは炎上した。

この事件が大々的に報じられた結果、Oi!バンドの多くが人種主義的だ、ファシズムじみていると非難されることになる。

追い打ちをかけたのが、同じ1981年にリリースされたコンピレーション『Strength Thru Oi!』だ。

問題は二つあった。ひとつはタイトル。これがナチスのスローガンである「Strength Through Joy(歓喜力行)」をもじったものだと受け取られた。もうひとつはジャケット。ここに使われたスキンヘッドの男性が、ブリティッシュ・ムーブメントの活動家で、人種差別行為により4年の刑を受けたニッキー・クレインだった。

編集責任者は、またしてもゲイリー・ブッシェルである。

彼の弁明はこうだ。タイトルはナチのスローガンではなく、ザ・スキッズのアルバム『Strength Through Joy』のもじりである。ジャケットのスキンヘッドの男が何者なのかは、2か月後にデイリー・メールが報じるまで知らなかった。

そして、ここが皮肉なのだが、当時のブッシェルは社会主義者だった。その人物が、報道によって極右活動家のレッテルを貼られた。彼自身が後年、その状況を皮肉っている。

命名が1980年、炎上が1981年7月。ジャンル名が生まれてから、わずか1年半である。

「Oi!はナチじゃない」という反論を、公平に置いておく

ここは慎重に書きたい。

ブッシェルは後年、当時の状況についてこう主張している。Oi!バンドで人種主義やナチを標榜したバンドは存在しなかった。実際、Demobというバンドには混血のボクサーが2人いた。初期のギグにつきまとった揉め事は、コックニー・リジェクツがサッカーから持ち込んだ因縁が原因であって、思想の問題ではなかった、と。

さらに彼は当時のパンク誌の論評を引用している。Oi!のギグに行った人間なら、そこでナチス式敬礼が飛び交っていないことは分かるはずだ。皮肉なことに、当時ナチスキンに最も悩まされていたのはマッドネスやバッド・マナーズのほうだった、と。

そしてブッシェルによれば、Oi!に集まっていた人間の大半は、そもそも政治的ではなかった。伝統的に労働党に投票する程度で、極端な右にも左にも関心はない。愛国的で、自分の階級と地元の文化に誇りを持っている。ヒーローはボクサーとサッカー選手であって、労働組合の指導者ではない。身なりはきちんとしていて、みすぼらしく見えることも、学生に見えることも嫌った。

これはブッシェル本人による自己弁護でもあるので、額面通りに受け取るべきではない。当時のシーンに実際にどれだけの極右が紛れ込んでいたかは、彼一人の証言では確定しない。

ただ、ひとつだけ確実に言えることがある。

Oi!というジャンルは、名前を他人につけられ、意味も他人につけられた。当事者が一度も主導権を握れなかった。

挨拶が思想になり、思想が汚名になった。バンドは何も言っていないのに。

日本に来たオイパンク

さて、ここからが本題の後半だ。

日本にもオイパンクはある。というより、日本のパンク史においてかなり重要な位置を占めている。

その最初期を代表するのがCOBRA。

1982年、兵庫県尼崎市で結成。中学の同級生だったYOSU-KO(Vo/Ba)とNAOKI(Gt)を中心に、MI-CHANG(Dr)を加えて始まった。英語圏の資料によれば、YOSU-KOとNAOKIが出会ったのは中学のフォークソング部だったという。

フォークソング部から、オイパンクへ。この経路が既に良い。

彼らは日本でOi!のスタイルを取り入れた最初期のバンドのひとつとされ、影響源として初期の英国Oi!バンド、具体的にはコックニー・リジェクツとザ・ビジネスを挙げている。前述の、まさに炎上の当事者たちである。

初音源はAA RECORDSからの1st EP『BREAK OUT』。1985年には同レーベルからアルバム『STAND THE PRESSURE』をリリースしている。このジャケットが、ブーツが若者の顔を踏みつけている図案で、字面だけでも強い。

その後の経歴が、また波乱に富んでいる。

1984年にNAOKIが脱退してLAUGHIN’ NOSEに加入。入れ替わりで、現GARLIC BOYSのLARRYがギターに入る。1987年に徳間ジャパンからメジャーデビューするも、同年に活動停止。

1990年、LAUGHIN’ NOSEを離れたNAOKIとPONを迎え、ポニーキャニオンから再びメジャーデビュー。武道館公演まで到達するが、1991年に再び活動停止。その後YOSU-KOとPONはCOW COWとして活動し、NAOKIとKI-YANはDOG FIGHTを結成する。

1999年に再結成、2005年に活動休止、2007年にメンバーを一新して再開。フジロック出演、ヨーロッパツアー、THE EXPLOITEDとのドイツツアー、スペインのパンクフェス出演と、海外まで届いている。

2012年末、YOSU-KOの体調不良により再度活動停止。2013年1月1日にシングル『THE BEGINNING OF THE END e.p.』をリリース。2015年には元メンバーのPONをベースに迎えて活動を再開している。

結成から40年以上、停止と再開を何度も繰り返しながら、まだ終わっていない。

日本にテラスは無い、それでもOi!は成立した

ここで、ひとつ考えたいことがある。

Oi!は英国の労働者階級文化から生まれた音楽だ。失業率、階級構造、サッカーのテラス、パブでの合唱。これらが揃って初めて成立するはずのものだった。

1980年代の日本に、それらは無い。

階級構造は英国とまるで違う。サッカーのテラス文化は、Jリーグ開幕前の日本にはほぼ存在しない。パブでの合唱という習慣もない。

にもかかわらず、日本にオイパンクは根付いた。

なぜか。

僕の見立てはこうだ。輸入されたのは思想ではなく、機能だったからだ。

Oi!の核心は「全員で一緒に叫べること」にある。テラスもパブも階級も、その機能を成立させるための背景でしかない。背景が無くても、機能だけは移植できる。

ライブハウスで、知らない人間同士が同じフレーズを同時に叫ぶ。その瞬間だけ他人が仲間になる。この体験そのものが商品なのだ。

だから日本でも成立した。というより、日本のように匿名性の高い都市空間のほうが、その機能への飢えは強いのかもしれない。

そしてこれは、以前このブログで書いた話ともつながる。カラオケで歌えない曲は2000年代のヒット構造から外れた、という話だ。あれと同じ原理が、ジャンル単位で働いている。

一緒に歌えることは、音楽にとって最強の生存戦略のひとつなのだ。40年以上経ってもOi!が世界のあちこちで鳴り続けているのは、たぶんそれが理由だ。

で、結局オイパンクとは何なのか

オイパンクとは、1970年代末の英国で、商業化とアートスクール的な実験性の両方から降りた労働者階級のパンクとして生まれ、1980年にジャーナリストのゲイリー・ブッシェルによって命名された音楽である。名前の由来はコックニー・リジェクツのボーカルの掛け声で、「やあ」を意味する挨拶にすぎない。

音楽的特徴は、単純さ、反復するコーラス、掛け声、そして全員で歌えること。主題は失業、労働、権威への反抗、そして酒とサッカーと暴力。

1981年7月のサウソールでの騒動と、コンピレーション『Strength Thru Oi!』のジャケット問題により、ジャンル全体が極右と結びつけて語られるようになった。当事者たちはそれを否定し続けている。

日本ではCOBRAが最初期にこのスタイルを持ち込み、40年以上にわたって断続的に活動を続けている。

そして、いちばん言いたいのはここだ。

Oi!というジャンルは、名前を他人につけられ、意味を他人につけられ、汚名まで他人につけられた。当事者が自分たちで何かを名乗る前に、全部決められてしまった。

それでも、40年以上鳴り続けている。

呼び名なんて後付けだ。誰が何と名付けようが、パブで、ライブハウスで、酔っ払いが肩を組んで同じフレーズを叫ぶという行為そのものは、どんな定義よりも先にあった。

そして、たぶんどんな定義よりも長く残る。

聴いたことがない人は、まずコックニー・リジェクツを1曲。そのあとCOBRAを1曲。40年と数千キロを挟んで、同じ掛け声が鳴っていることに気づくはずだ。

ではまた。