NOT WONK | 12年間の3ピースが2人になって、パンクバンドはようやく「個人」に戻った
バンドからベーシストが抜けたとき、残された人間には二つの道しかない。
新しいベーシストを入れて元の形に戻すか、抜けた穴を穴のまま作品にするか。前者は健全だ。後者は、だいたいの場合、ただの言い訳になる。「人がいないので、こうなりました」という消極的な選択が、そのまま音に出てしまう。
NOT WONKは後者を選んで、しかも言い訳にしなかった。
北海道苫小牧市、2010年結成。12年間3ピースで走ってきたバンドが、ベースの藤井航平の脱退を経て、ほとんど2人だけで作り上げた5thアルバム。それが『Bout Foreverness』だ。2025年2月5日、Bigfish Soundsからリリース。前作『dimen』(2021年)から4年ぶり。全7曲。
そして、これがめちゃくちゃいい。
パンクバンドが減っていく過程で、こんなに豊かになる例を僕は他に知らない。
総評 ── 「オルタナティヴを標榜するのはもうやめた」
このアルバムを語るうえで、OTOTOYのインタビュー記事に付けられた見出しほど的確な要約はない。「オルタナティヴを標榜するのはもうやめた」。
NOT WONKというバンドは、ずっと「何かであろうとする」バンドだった。パンクを優しさや真面目さとして捉え直し、社会に対して開けたメッセージを作品に反映させてきた。1stの『Laughing Nerds And A Wallflower』から『This Ordinary』『Down the Valley』を経て『dimen』まで、彼らは常にジャンルの外側に手を伸ばし続けてきた。
その姿勢自体が、たぶんしんどかった。
古巣レーベルKiliKiliVillaの与田太郎がリリースに寄せた長い文章の中で、『dimen』について「このアルバム全体に通底している感情は苛立ちだった」と書いている。コロナ禍、予算とスケジュールの制約、思うように組めないライブ。あの盤には、これまでのNOT WONKになかった苛立ちと不安が出ていた、と。
そこから加藤修平はソロプロジェクトSADFRANKで2023年に『gel』を作り、内省の底まで潜って戻ってきた。そしてバンドは2人になった。
その結果がこれだ。ele-kingのレビューが「今作はもっとも個人的で、内世界を映したような内容になっている」と書いている通り、この7曲には「シーンに対して何かを表明する」という力みが、きれいに抜けている。
抜けた結果、残ったのは音そのものだった。
フィードバック・ノイズと、対照的な静けさ。問いかけるような歌声。それらを内包する多彩なエイトビート。そして、目の前に現れるかのように鮮明な録音。
減ったのに、豊かになっている。これがこのアルバムの最大の事件だ。
なお曲順はアナログ盤の表記に基づく。1曲目のタイトルについては、アルバム名が『Bout Foreverness』であるのに対し、収録曲としては「About Foreverness」と表記されている資料がある。ここは後述する。
About Foreverness
表題曲、しかも1曲目。アルバム名から一文字違い、あるいは冠詞ひとつぶんだけずれている。この「about」という単語の置き方が異様に効いている。永遠そのものではなく、永遠についての話。断定ではなく、態度の表明ですらなく、ただ「〜について」。バンドが2人になった作品の冒頭に置く言葉として、これ以上に正確なものはない。ここは刺さる。
George Ruth
シングルカットされなかった曲。人名らしきタイトルで、しかも実在の誰かを指しているのか架空なのかも判然としない。先行配信された3曲(Asshole、Changed、Embrace Me)がすべてアルバムに入っている中で、この曲と4曲目「Same Corner」だけが完全な未知として残されていた。アルバムを買った人間にだけ用意された領域が、序盤に置かれている。この配置は信頼できる。
Embrace Me
軽快なボッサ・チューン、とOTOTOYは書いていた。ボッサ。苫小牧のパンクバンドが5枚目でボサノヴァの拍を持ち出してくる。この振り幅こそがNOT WONKで、しかも彼らの場合それが「実験してみました」の顔をしていないのが強い。ジャンルを越境しているのではなく、単に必要だから使っている。先行配信曲として最初に世に出た1曲でもある。
Same Corner
同じ角。前曲の軽やかさの直後にこのタイトルが来る配置は、明らかに意図的だ。どこにも行っていない、同じ場所にいる、という感覚。アルバムのA面を締める位置で、外へ広がる曲ではなく内に折り返す曲を置いている。ここでアルバムの重心が一度沈む。
Changed
2人体制への宣言とともにリリースされた曲。つまり、このバンドの現在地をいちばん直接的に言語化しているのがこの曲ということになる。タイトルが「Changed」。変わった、と過去形で言い切る。変わろう、でも、変わってしまった、でもない。すでに済んだこととして提示する乾き方が、いかにもこのバンドらしい。B面の頭に置かれているのも納得がいく。
Some of You
アルバムのリード曲。ここが最大のフックであることは、リリース時の扱いを見れば明白だ。そして「Some of You」という限定の仕方に注目したい。all of youではない。some。全員に届けようとしない。この一語に、いまのNOT WONKのスタンスが凝縮されている。かつて社会に開けたメッセージを歌ってきたバンドが、リード曲のタイトルで対象を絞り込んでいる。
Asshole
そしてラスト。先行配信ではUnplugged Mixが存在し、アルバムには改めて録音されたバンドヴァージョンが収められている。つまりこの曲は、一度違う姿で世に出てから、バンドの形に組み直されてアルバムの最後に置かれた。
ele-kingのレビュアーは、この曲の冒頭に聞こえる音を足音だと感じたと書いている。実際にはグランドピアノのペダルを踏む音だった、と。ゆっくりと地を踏み締めて進む音に聞こえた、というその読み違いごと、この曲の性格を言い当てていると思う。
7曲、約30分そこそこの尺で、最後に「Asshole」と名付けられた曲が来る。内省の果てに自罰でも自己陶酔でもなく、この身も蓋もない単語を置く。ここでこのアルバムは、パンクバンドの作品としての筋を最後に一本通してみせる。
これは強い。
良かった点
まず録音だ。
ele-kingが「目の前に現れるかのように鮮明な録音」と評していたのは誇張ではなく、この作品はダイナミックレンジの設計そのものが主題になっている。OTOTOYでの配信購入特典として、LPカッティング用の別マスタリング音源『Bout Foreverness (Mastered for vinyl)』が付属していたことがそれを裏付ける。マスタリングで音圧をギリギリまで詰め込むことで失われる音楽的ダイナミクスを回避した音源、という説明が付いていた。
つまり彼らは、「同じ曲の、違う音圧設計のバージョン」を並列でリスナーに渡している。音圧競争の時代に対する、これ以上ないほど具体的な回答だ。
次に、7曲という尺。
配信時代のアルバムは長くなりがちだ。プレイリストに拾われる確率を上げるために曲数を増やす、という戦略が普通に機能してしまう。この作品はその真逆で、削って削って7曲にしている。しかもうち3曲は先行配信済み。残る4曲のためにアルバムを買わせる、という構図に見えて、実際に聴くと7曲が一本の線として繋がっている。
そして、2人になったことを悲劇として売っていないこと。
ここが一番好きだ。バンドの解体を物語として消費させにいかず、ただ音の話をしている。加藤修平が主宰する表現の交換市「FAHDAY」を地元苫小牧で続けていることや、2024年3月にUSインディーの重鎮SUPERCHUNKとスプリットツアーを回ったことも含めて、このバンドは常に「次にやること」の方を向いている。
物足りなかった点
正直に書く。
7曲30分強という尺は、作品としての凝縮度を上げている一方で、このバンドが本来持っている「散らかる才能」を抑え込んでもいる。『Down the Valley』にあった、瑞々しさと激しさ、軽やかさとシリアスさが1曲の中で同居してしまう、あの制御不能な感じ。今作にはそれが少ない。
洗練されている。洗練されすぎている、とも言える。
ボッサを取り入れても、フィードバックを鳴らしても、全部が「加藤修平の設計図の内側」に収まっている印象がある。ソロプロジェクトSADFRANKで内省の底まで潜って、作曲家としての解像度を上げた結果、バンドとしての事故が起きにくくなった。ここは惜しい。
もうひとつ。2人体制であることを音で説明しすぎない、という判断は誠実だが、裏を返せば「なぜ2人でなければならなかったのか」の答えが作品からは読み取りにくい。バンドの物語として消費させない姿勢と、作品としての必然性の提示は、本来両立できるはずだ。
とはいえ、これは減点というより注文に近い。次で聴かせてほしい。
どんな人に刺さるか
パンクを「速さ」ではなく「態度」として理解している人。轟音と静寂が同じ曲の中で切り替わる瞬間が好きな人。音圧よりダイナミクスを取るタイプのリスナー。そしてSUPERCHUNKやアメリカのインディーロックの系譜を追いながら、日本のバンドにも同じ水準を求めていた人。
逆に、初期NOT WONKの疾走するメロディック・パンクだけを愛している人には、たぶんもう別のバンドに聞こえる。それは彼らが変わったからで、タイトル通りだ。Changed。
評価
8.5点。
録音の設計思想、7曲を一本に貫く構成力、そしてメンバーが減るという事態を作品の質に転化してみせた手つき。ここまでやれるバンドは日本にそう多くない。
満点に届かないのは、前述の通り、洗練の代償として「事故」が減っているからだ。このバンドの最高傑作が『Down the Valley』なのか本作なのかは、あと5年経たないと決まらないと思う。
締め
3人が2人になった。曲数は7曲に減った。声高な主張も引っ込んだ。
減って、減って、それでも豊かになった。
こういう作品を「円熟」と呼ぶと途端に嘘くさくなるので、そうは書かない。これは円熟じゃなくて、剥がした結果だ。オルタナティヴを標榜するのをやめた人間が、標榜しないまま鳴らした音が、いちばんオルタナティヴだった、という笑えない結末。
苫小牧から、まだ続いている。永遠についての話は、まだ途中だ。
ではまた。

