楽器を壊すパフォーマンスの起源と、保険が絶対に降りない話
ライブの最後、ギタリストがギターを頭上に振りかぶり、ステージに叩きつける。ネックがへし折れ、弦が跳ね、客が絶叫する。ドラマーがシンバルを蹴り倒す。これぞロック。これぞ衝動。
だが、その光景を観ながら僕の頭にいつも浮かぶのは、実に散文的な疑問だ。あれ、いくらするんだ。そして、保険は降りるのか。
今日はこの「楽器を壊す」という行為について、ロマンの側と経理の側の両方から書いていく。結論から言えば、あの美しい破壊行為に、保険は降りない。絶対に降りない。その理由も含めて、順番に見ていこう。
起源は「怒り」でも「思想」でもなく、事故だった
楽器破壊の元祖として名前が挙がるのは、ほぼ例外なくザ・フーのピート・タウンゼントだ。そして面白いのは、その第一号が完全な事故だったという点である。
1964年、ザ・フーがまだ売れる前のこと。ロンドン北西の小さな会場でのライブ中、手を伸ばせば天井に届くほどの低い天井に、タウンゼントは誤ってギターをぶつけてしまった。大事なギターに傷がついてショックを受ける。だが、それ以上に彼をショックに陥れたのは、客がその事故をまったく気にかけていなかったことだった。
本人の言葉が残っている。頭にきて、この大事件を客にアピールすることに決めた。そう、思いっきりギターをぶっ壊すことにした、と。
つまり、ロック史に燦然と輝く破壊の儀式は、無視されたギタリストのふてくされから始まっている。反体制でも芸術でもない。「俺のギターが壊れたのに、なんでお前ら平然としてるんだよ」という、極めて人間くさい逆ギレだ。僕はこの経緯を知ってから、あの行為が前より好きになった。
タウンゼント自身は別のインタビューで、1964年前半にはアートスクール的なパフォーマンスアートの一環として6弦リッケンバッカーを壊してしまった、とも語っている。どちらが先かは諸説あるが、いずれにせよ1964年、あの低い天井のあたりに、すべての始まりがあったのは間違いない。
しかも、彼が破壊に傾倒した理由がまた身も蓋もない。当時のタウンゼントは空き時間のすべてをソングライティングに費やしていて、ギターを練習する時間がなかった。ライブを盛り上げるには、テクニックよりパフォーマンスに頼るしかなかったのだ。腕がないから、壊した。腕がないから、腕を大車輪のように回して弾く「風車奏法」も生まれた。
やがてライブの最後にタウンゼントがギターを叩きつけ、キース・ムーンがドラムを放り投げて「My Generation」を締めるのが、ザ・フーのお決まりになる。この攻撃的なパフォーマンスが注目を集め、1965年リリースの1stアルバム『My Generation』は全英4位まで上昇した。破壊が、バンドを押し上げた。
そして破壊は文法になった
一度発明された身振りは、模倣され、洗練され、様式になる。
ギターに火をつけたジミ・ヘンドリックス。ステージにベースを叩きつける決定的瞬間を切り取った、ザ・クラッシュ『London Calling』のジャケット写真。破壊は「既存の秩序への反抗」を身体で表現する行為として読み替えられ、後のパンク・ムーブメントに直接的な影響を与えた。壊すことで何かを作る、という精神の源流がここにある、という評価は定着している。
事故から始まった一発芸が、数年で思想になった。ロックというジャンルの、良くも悪くも神話化がうまいところだ。そして神話には、必ず請求書がついてくる。
さて、経理の話をしよう
ここからが本題だ。あの破壊、誰が払っているのか。
まず、タウンゼント本人の証言が最高に生々しいので引いておく。彼によれば、当時の12弦リッケンバッカーは385ポンド。彼はその金額を現在の価値で5,925ポンド、当時の為替レートで14,220ドルに相当すると語っている。1964年、まだ稼げていない若造が、一本100万円超のギターを壊していた計算になる。
そして彼はこう続ける。みんなが自分のステージ・パフォーマンスについて信念を通すことを求めるたびに、少し怒りを覚える。こっちはその対価を払っているんだから、と。
これだ。ここに全部詰まっている。観客が「タウンゼントなら壊してくれるはず」と期待する、その期待の代金を払っているのは本人なのだ。伝説の維持費は、演者の自腹である。
では、保険は降りるのか
そこで保険の出番だ。楽器には保険をかけられる。一般的なのは動産総合保険に楽器特約を付けたもので、日本音楽家ユニオンなども団体加入の窓口を用意している。補償範囲は広く、火災、落雷、盗難、水濡れ、落下や衝突による損害、さらには「うっかり壊してしまった」破損まで対象になる。
いい話に聞こえるだろうが、約款の免責事項を読むと、必ずこの一行が入っている。
契約者、被保険者の故意、重大な過失、法令違反によって生じた損害は補償されない。
故意。つまり、わざと壊した場合は一円も出ない。動産総合保険の説明を見ても、保険金を支払えない主な場合の筆頭に、契約者や被保険者の故意もしくは重大な過失による損害が挙げられている。当然といえば当然だ。自分で壊して保険金が出るなら、保険会社は一週間で潰れる。
つまり、ステージ上のあの華麗な一撃に、保険という後ろ盾は存在しない。うっかり落として折れたギターには保険が降りるが、腹をくくって叩きつけたギターには一円も降りない。同じ壊れ方でも、意志があるかどうかで扱いが正反対になる。ロックの美学と保険の論理が、ここで真正面から衝突している。
言い換えれば、楽器破壊とは「保険の効かない自傷行為」だ。だからこそ格好いいのだ、という見方もできる。誰にも守られず、自分の財布だけを担保にして、あの一瞬に賭ける。そう考えると、あの派手な破壊が急にストイックな行為に見えてくる。
税金でも救われない
保険がダメなら、経費ではどうか。ここも少し触れておこう。
日本の税務上、楽器は減価償却資産として扱われ、耐用年数は5年とされている。10万円未満なら消耗品費として一括処理できるが、それ以上は原則として数年に分けて経費化していく。ただし青色申告をしていれば、1組30万円未満の資産については年間300万円までを購入年に全額経費にできる特例もある。
ここで想像してみてほしい。ツアーで毎晩ギターを壊すバンドの帳簿を。5年かけて経費にする予定だった資産が、初日の夜に木片になる。会計上は除却損として処理する話になるのだろうが、いずれにせよ現金は確実に消えている。経費で落ちるというのは、税金が少し軽くなるだけの話で、支出そのものが消えるわけではない。壊せば壊すほど、財布は軽くなる。
要するに、保険も税制も、楽器を壊すロックスターを救済する設計にはなっていない。当たり前だ。社会の仕組みは、物を大事に使う前提で作られている。
壊した本人たちは、どう思っているのか
最後に、当事者の生の声を一つ紹介したい。
あるバンドマンが自身のコラムで書いていた。若い頃に一度だけ、ライブの最後に自分のスネアを投げたことがある。だが、なけなしの金でやっと手に入れた楽器になんて酷いことをしたんだろうと後悔して、それ以来二度と楽器を投げたり壊したりしないと誓った、と。そのうえで、自分の楽器を壊す人にとやかく言うつもりはない、とも添えている。
このバランス感覚が、僕は正しいと思う。楽器破壊は、他人が是非を論じるものではない。自分の金で買った自分の道具を、自分の意志で壊す。それだけの話だ。ただし、その代償を全額自分で被る覚悟がある場合に限る。
だから僕の結論はこうだ。壊すなら、壊せ。ただし保険は降りない。経費でも救われない。誰も助けてくれない、あの一瞬の轟音に、自分の月給を賭けられるか。その覚悟がある破壊だけが、ロックと呼ばれるに値する。逆に、ノリで壊してから借金の額に青ざめるくらいなら、最初から壊さず、その金で新しいエフェクターを買った方が、たぶんいい音楽ができる。
ちなみに、あの伝説を作った男は「対価を払っているのは自分だ」と怒っていた。ステージの上で何かが砕ける音を聞いたら、思い出してほしい。あの音は、誰かの財布が空になる音でもある。
ではまた。

