The Mirrazは本当に「パクリ」なのか。20年言われ続けた男の、開き直りという発明
検索窓に「The Mirraz」と打ち込むと、サジェストに「パクリ」と出てくる。バンド名と悪口がセットで補完される。これほど不名誉な、そしてこれほど有名な「セット販売」も珍しい。
The Mirraz(ザ・ミイラズ)。2006年結成、畠山承平(Vo/Gt)を中心とする日本のロックバンドだ。そして日本のロック史上、おそらく最も長く、最も執拗に「パクリ」と言われ続けてきたバンドでもある。元ネタとされるのは、UKロックの怪物Arctic Monkeys。今日はこの「パクリと言われる」という現象そのものを、ミイラズを題材に解剖してみたい。
先に結論を置いておく。僕は、ミイラズを「パクリバンド」と切り捨てる耳を信用していない。理由は、これから書く。
何がどう「似ている」とされてきたのか
まず事実関係を整理する。ミイラズがアクモンの影響下にあること自体は、疑いようがない。Wikipediaにすら「アークティック・モンキーズのパクリバンドと批判の声もある」と書かれてしまっているし、具体的な指摘も枚挙にいとまがない。
たとえば、通称0thアルバム『be buried alive』のジャケットは、アクモンの1st『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』のオマージュになっている。2013年の5thアルバム『選ばれてここに来たんじゃなく、選んでここに来たんだ』収録の「スーパーフレア」は、アクモンの「Brianstorm」に似ていると散々言われた。今でも「The Mirraz スーパーフレア」と検索すると「パクリ」がついてくる。あの滑るような不気味な3連符と疾走するリフ。確かに、血縁を感じるサウンドだ。
歌の作り方もそうだ。Fワードも厭わない粗野な表現、固有名詞を多用したシニカルで詳細な叙述、キャパオーバー寸前まで言葉を詰め込む高速ボーカル。古参リスナーが書いていた通り、この手法自体はアクモンのそれと重なる。ここまでは、批判側の言い分にも一理ある。認めよう。
だが、ここからが本題だ。
隠さなかった、という一点がすべてを変える
パクリ問題を考えるとき、決定的に重要な分岐点がある。それは「隠したか、隠さなかったか」だ。
盗作と呼ばれる行為の本質は、他人の創作物を自分のオリジナルだと偽ることにある。つまり嘘だ。ではミイラズはどうだったか。畠山承平は、アクモンからの影響を一切隠さなかった。それどころか公言し、ジャケットでオマージュを掲げ、ネタにすらしてきた。Wikipediaの記述にも、最新の洋楽を取り入れていく傾向を「畠山も自らそれを公言している」とある。
嘘がないのだ。嘘がない以上、これは盗作の構造を満たさない。これは引用であり、参照であり、ラブレターだ。あるブロガーはミイラズを「パクリの銘を打って未来を勝ち取ったバンド」と評し、数式の引用に例えた。うまい言い方だと思う。先人が証明した数式を使って新しい問題を解くことを、誰も盗用とは呼ばない。
そもそも、影響を受けていないミュージシャンなど存在しない。ロックの歴史は引用の歴史だ。それでもミイラズだけが糾弾され続けたのは、参照元が「同時代の、しかも売れている」バンドだったからだ。ビートルズを参照すれば王道、アクモンを参照すればパクリ。時差があれば敬意で、同時代なら盗み。この線引きの恣意性にこそ、僕は疑問を持っている。
「翻案」という高等技術
もう一つ、見落とされがちな点がある。ミイラズはアクモンを「輸入」したのではない。「翻案」したのだ。
先の古参リスナーが的確に書いていた。ミイラズは、言語も文化も違う日本向けに、あの手法を見事にジャパナイズしていた、と。これは簡単な作業ではない。英語の3連符に乗るシニカルな叙述を、音節構造のまるで違う日本語でやる。日本の生活の固有名詞で、日本の若者の鬱屈を、あの情報量で歌う。原文をなぞるだけでは絶対に成立しない。翻訳者の力量が問われる仕事だ。
しかも、畠山は全楽曲の作詞・作曲・アレンジを一人で手掛け、MVまで自作する。40本近いミュージックビデオのほとんどが畠山の手によるものだ。「パクリバンド」という雑なレッテルの下で、実際に行われていたのは、異常な生産量のワンマン創作活動だった。パクるだけの人間に、この物量は出せない。
そして、変わり続けた
さらに言えば、ミイラズをアクモンのコピーとして固定する見方は、彼らのキャリアの前半しか見ていない。
このバンドは、アルバムごとにカラーを変え続けてきた。あるレビュアーが指摘する通り、アルバム『言いたいことはなくなった』を境に作風は大きく変わり、メロディが強くなり、初期のフランチャイズ感は消えた。2012年にはEMIへメジャー移籍し、両A面シングル「僕らは/気持ち悪りぃ」を発表。「気持ち悪りぃ」は、畠山自身が影響を受けたと語るサザンオールスターズの桑田佳祐が選ぶその年のベスト20で6位に選ばれている。大御所の耳は、ちゃんとオリジナリティを聴き取っていたわけだ。
その後もミイラズは止まらない。2016年にはEDMにヒントを得たアルバム『しるぶぷれっ!!!』、翌2017年にはその最終章『ぼなぺてぃっ!!!』を発表。同年4月には事務所を離れて完全独立し、自主レーベルKINOI,INC.を設立、9thアルバム『Mr.KingKong』を放った。2021年には『Japanese English』もリリースしている。アクモンのフォロワーどころか、UKロックからEDMまで飲み込みながら、メジャーと独立を行き来する。この落ち着きのなさ、この貪欲さは、もう誰の模倣でもない。畠山承平という体質だ。
ちなみにバンド名の由来も人を食っている。The Zombiesのような「ザ・○○ズ」形式でモンスターっぽい名前にしたくて作った造語で、mirraはポルトガル語なので「ミイラズ」という言い回しは本来存在しないという。名前からして、正しさより面白さを取る男なのだ。
「パクリと言われる」の正体
最後に、少し引いた視点で考えたい。「パクリと言われる」とは、どういう状態なのか。
無名のバンドは、パクリとすら言われない。誰も聴いていないからだ。パクリと言われるのは、比較されるだけの知名度と、元ネタを想起させるだけの音楽的強度がある証拠でもある。ミクスチャーの革命児すら模倣者と糾弾され、シーンから撃たれた。影響を受けて、影響を公言して、それでも自分の歌を書き続ける人間に、日本の音楽シーンは昔から冷たい。
だが、ミイラズの面白さは、その冷たさへの応じ方にあった。言い訳せず、隠さず、開き直り、ネタにして、作品の物量で殴り返す。「パクリバンド」というレッテルを、逆に名刺として使い倒した。この開き直りは、一つの発明だと思う。レッテルは、貼られた側が恥じた瞬間に呪いになる。恥じなければ、ただの看板だ。
The Mirrazはパクリなのか。似ている曲は、確かにある。だが20年近く、影響を公言しながら形を変え続け、いまだに自分のレーベルで鳴らし続けている。その事実の前では、「パクリ」の二文字はあまりに軽い。検索サジェストの悪口を確かめるついでで構わない。一度、あの過剰な言葉の洪水を浴びてみてほしい。似ているかどうかなんて、どうでもよくなるはずだ。
ではまた。

