「最近の音楽はつまらない」おじさんの構造分析
「最近の音楽はつまらない」
このセリフを、あなたは人生で何回聞いただろうか。そして、うすうす気づいているはずだ。このセリフを言う人間が、どの世代にも必ず一定数いることに。今のおじさんも言うし、20年前のおじさんも言っていたし、なんなら平安時代のおじさんも「近ごろの今様は乱れておる」みたいなことを言っていたに違いない。
つまり、これは音楽の問題ではない。人間の構造の問題だ。今日は「最近の音楽はつまらない」と言い出す現象を、感情論を排して、できるだけ冷たく解剖してみる。他人事だと思って読み始めたあなたも、読み終わる頃には少し背筋が寒くなっているかもしれない。なぜなら、これはあなたの未来の話でもあるからだ。
まず、これは加齢現象である
いきなり身も蓋もない事実から始める。「新しい音楽を聴かなくなる」という現象には、はっきりとした調査データの裏づけがある。
フランスのストリーミングサービスDeezerが2018年にイギリスの1000人を対象に行った調査によると、人が新しい音楽の発見をやめる年齢は、平均して30歳6ヶ月だった。一方で、新しい音楽を発見する意欲がピークに達するのは平均24歳5ヶ月で、この時期の回答者の75%が週に10曲以上の新曲を聴いていたという。24歳で頂点、30歳で店じまい。この落差が、すべての始まりだ。
別の調査でも、多くの回答者が「30代になると音楽の発見レベルが大幅に低下した」と報告しており、音楽の好みが停滞し始める年齢は31歳と結論づけられている。「33歳を過ぎると新しい音楽を欲しなくなる」といった言い回しも、ネット上には昔から流布している。数字に多少の幅はあれど、30歳前後で人間の音楽的好奇心のシャッターが降り始める、という傾向はほぼ共通している。
ここで大事なのは、これが「今の若者の音楽がつまらないから」起きているのではない、という点だ。いつの時代も、どの国でも、人は同じ年齢で同じように新曲を聴かなくなる。つまり「最近の音楽はつまらない」の「最近」は、実は音楽の話をしていない。自分が新しいものを受け付けなくなった、というただの身体的事実を、音楽のせいにしているだけなのだ。
なぜ30歳で店じまいするのか
では、なぜ人は30歳前後で新しい音楽を閉め出すのか。理由は複合的だが、大きく二つに整理できる。
一つは、生活の問題だ。ある分析はこう指摘する。学生時代は失敗しても責任は軽く、周りには同じ音楽を掘る仲間がいた。だが社会人になると仲間は消え、失敗には責任がつきまとう。30代になれば役職や部下がつき、長時間労働や休日出勤で、生活するだけで精一杯になる。新しい音楽を探すという行為は、時間と気力の余剰があって初めて成立する贅沢だ。その余剰が、大人になるにつれて枯れていく。
さらに、選択肢が多すぎることそのものが負荷になる、という指摘もある。サブスクやYouTubeで無限に音楽が供給される今、その膨大さを前に脳が処理を放棄し、「何を聴けばいいか分からないから無難なもの(=昔から知っている曲)を聴く」という思考停止に陥る。新しい音楽を聴くこと自体が、疲れる作業になってしまうのだ。
もう一つが、もっと根深い、脳と記憶の問題だ。
「17歳の音楽」が一生を支配する
人が人生を振り返ったとき、10代後半から20代前半の記憶が、他の時期に比べて突出して鮮明に思い出される現象を指す。グラフにすると、その年代だけ想起量がこぶのように盛り上がるので、この名がついた。
2025年に発表された国際的な大規模調査では、人が「自分にとって最も意味のある曲」として挙げる楽曲は、17歳前後にリリースされたものに集中し、きれいな山型の分布を描いた。17歳。この年齢が、音楽的アイデンティティが焼き付く決定的な瞬間。
理由は明快で、10代後半は脳が発達の途上にあり、感情の起伏が激しく、人生で最も「初めて」が多い時期。初めての恋、進路の選択、友情の破綻。そうした強烈な感情的体験と一緒に聴いた音楽は、脳に深く刻まれ、長期記憶として保存され、年を取るほど若い頃の音楽を懐かしく、好ましく感じるようにできているのだ。
これで構造が見えてくる。「最近の音楽はつまらない」と言うおじさんの脳内では、比較の基準が17歳のあの日に固定されている。人生で最も感情が沸騰していた時期に焼き付いた音楽が、その人にとっての「音楽とはこうあるべき」の絶対原器になっている。40歳の耳で聴く新曲が、17歳の魂に刻まれた曲に感情の強度で勝てるはずがない。勝てないのは新曲が劣っているからではない。聴く側の脳が、もう17歳の感度を持っていないからだ。
だから「毎世代いる」
ここまで来れば、なぜこのおじさんが毎世代必ず湧いてくるのかは自明だ。
人類共通の脳の仕様だ。だから、どの時代のどの世代も、40歳を過ぎれば同じように「自分が17歳だった頃の音楽」を絶対基準にして、新しい音楽を裁き始める。今「最近の音楽はつまらない」と言っている人が若かった頃、その人もまた上の世代から同じことを言われていた。そして今の若者も、あと20年もすれば、寸分違わず同じセリフを吐く。
これは呪いのように連鎖する。ビートルズで育った世代がパンクを「騒音だ」と切り捨て、パンクで育った世代が打ち込みを「あんなの音楽じゃない」と嘲笑し、バンドブームで育った世代がボカロを「機械の歌」と馬鹿にする。全員、自分だけは公平に音楽を評価していると信じている。だが実態は、全員が自分の17歳という牢獄から一歩も出られていないだけだ。
自分が「そのおじさん」にならないために
では、どうすればこの構造から逃れられるのか。冷たい分析だけして終わるのは不親切なので、処方箋も書いておく。
第一に、「最近の音楽はつまらない」という言葉が口をついて出そうになったら、一度こう言い換えてみることだ。「最近、俺が新しい音楽を掘る体力を失った」と。主語を音楽から自分に戻すだけで、話はまるで変わる。前者は評論だが、後者は自己申告だ。そして真実なのは、圧倒的に後者の方だ。
第二に、意識的に新譜を聴く習慣を、生活の中に強制的に組み込むこと。放っておけば脳は30歳で楽をしようとする。ならば、その怠惰に逆らう仕組みを作ればいい。ある調査の回答者の47%は「新しい音楽の発掘に時間をかけたい」と答えている。意欲は残っているのだ。ただ生活に追われて実行できていないだけ。ならば、週に一枚は知らないアルバムを通しで聴く、くらいのルールを課せばいい。
第三に、これは持論だが、若い世代の音楽を「分からない」と感じたとき、それを恥じるのではなく面白がることだ。分からない、ということは、あなたの脳がまだ更新可能だという証拠でもある。分かった気になって知ったふうな批評を垂れるより、「なんだこれ、分からん、でも売れてるってことは何かあるんだろうな」と保留しておく方が、はるかに知的で、はるかに若い態度だ。
つまらないのは、音楽ではない
結論を書く。「最近の音楽はつまらない」は、音楽批評の顔をした、加齢の自己申告だ。新しいものを受け付けなくなった脳が、その原因を外部に投影しているだけの現象であり、しかもそれは人類共通の仕様なので、対策しなければ誰もが必ずそこに至る。
だからこそ、僕はあの言葉を軽々しく口にしないでいたい。つまらなくなったのは音楽ではなく、いつでも自分の耳の方なのだと、常に疑っていたい。17歳の牢獄は居心地がいい。あの頃の曲は、いつ聴いても魂を震わせてくれる。でも、そこに引きこもった瞬間、人は音楽を聴くのをやめて、思い出を再生するだけの機械になる。
新譜を聴こう!分からなくてもいい。分からないことを面白がれるうちはまだ大丈夫。
ではまた。

