ミクスチャーロックの話になると、決まって同じ名前が並ぶ。90年代後半の革命児たち、ラウドの先駆者たち。だが、その系譜の一番深い根っこのところに、4人の女性がいたことは、あまりにも語られない。

Super Junky Monkey(スーパー・ジャンキー・モンキー)。1991年3月結成、ボーカルMUTSUMI(高橋睦)、ギターKEIKO、ベースかわいしのぶ、ドラムまつだっっ!!の4人組だ。ハードコア、メタル、ファンク、プログレ、サイケを一つの鍋にぶち込んで、あっけらかんと、しかも超絶技巧で鳴らしてしまったガールズバンド。今日は彼女たちの話を書く。そして、1999年2月5日に止まってしまった時間の話も、少しだけ。

「ミクスチャー」という言葉が生まれる前に、それをやっていた

まず、時系列を確認してほしい。彼女たちが結成したのは1991年。日本のロックシーンに「ミクスチャー」や「オルタナティブ・ハードコア」という概念がほぼ存在しなかった時代だ。rockin’onのライブレポートが書いている通り、そんな概念すらなかったシーンで、至ってあっけらかんと、ダイナミックかつアクロバチックにそれをやってのけたのが、この4人だった。

1994年3月、インディーズのRIOTレーベルからライブCD『キャベツ』をリリース。ライブ盤でデビューする、というだけで只者ではないが、同年10月21日にはSony Recordsからメジャーデビューアルバム『SCREW UP』を放つ。ハードコアの獰猛さとファンクの跳ねが同居し、真面目なのかふざけているのか判別不能のユーモアが横溢する、掴みどころのない怪作だ。あるリスナーが「どの枠にも納まらないミクスチャー系の走り」と振り返る通り、後のシーンの設計図がここに詰まっている。

そして特筆すべきは、彼女たちの主戦場が最初から世界だったことだ。

ビルボードの表紙を飾った日本のガールズバンド

Super Junky Monkeyの海外での評価は、ちょっと信じがたいレベルにある。事実だけを並べる。

1993年11月、ニューヨークの「CMJ MUSIC MARATHON」出演。1994年7月、カナダの「CANADIAN MUSIC AWARDS」でピーター・ガブリエルらと並んで選出。同年、MTV JAPANのオリジナルステーションID「ENDLESS ZOOM」を日本人アーティストとして初めて制作し、この作品は1995年1月に「NEW YORK FESTIVAL」のStation/Network I.D.部門で金賞を受賞している。1995年5月30日には『SCREW UP』がトリスターミュージックから全米リリース。同年9月にはニューヨークでレコーディング。そして同年12月2日、アメリカの音楽雑誌「ビルボード」の表紙を飾った。

90年代半ば、日本のインディー出身のガールズバンドが、ビルボードの表紙である。ライブではSICK OF IT ALL、L7、RANCIDといった海外の猛者たちと共演し、NINE INCH NAILSからは全米ツアーのサポートを依頼された(スケジュールの都合で実現しなかったが)。今でこそ日本のバンドの海外進出は珍しくないが、インターネットもSNSもない時代に、ライブの実力だけでここまで食い込んだバンドが他にどれだけいるか。1996年4月には3rdアルバム『地球寄生人/PARASITIC PEOPLE』を発表し、これも同年8月に全米リリースされている。

その中心で咆哮していたのが、ボーカルのMUTSUMIだった。rockin’onが「ボーカルにしてアジテーター」と書いた通り、彼女はただの歌い手ではなく、フロアの温度を強制的に沸点まで引き上げる扇動者だった。ラップとも詠唱とも絶叫ともつかない声で、日本語と英語の境界を飛び越えていく。不世出のボーカリスト。この言葉が誇張でないことは、残された音源と映像が証明している。

1999年2月5日

その時間が、突然止まる。1999年2月5日、MUTSUMIこと高橋睦が死去した。

彼女の死について、音楽ナタリーやrockin’on、各メディアの記述は一貫して「不慮の事故により他界」と伝えている。それ以上の詳細は、公には多く語られていない。ネットの海には様々な憶測が漂っているが、僕はそこに踏み込むつもりはない。検証できないことを書かないのは、このブログの鉄則だ。そして何より、詳細が語られていないという事実そのものが、遺された人たちの意思なのだと思う。僕らが受け取るべきは死の詳細ではなく、彼女が生きて鳴らした音の方だ。

確かなのは、その死があまりに突然で、あまりに早かったこと。バンドは活動を止め、同年5月9日にはトリビュートライブが行われた。世界と互角に殴り合っていたバンドの時間は、8年で止まった。

それでも、歌は残った

だが、この話には続きがある。

2001年、未発表曲集『E・KISS・O』とベストアルバム『Songs Are Our Universe』がリリースされた。「歌こそ我らの宇宙」。このタイトルの通り、歌は消えなかった。そして2009年6月20日、MUTSUMIの死から10年のメモリアルに、残る3人がリキッドルームで一夜限りの復活ライブ「SONGS ARE OUR UNIVERSE」を行う。

これが伝説の再点火だった。翌2010年にはFUJI ROCK FESTIVALに出演し、DVDもリリース。rockin’onのライブレポートは、KEIKO、かわいしのぶ、まつだっっ!!の3人が鉄壁のアンサンブルへとビルドアップされ、フロアがモッシュとダイブの阿鼻叫喚と化した様子を、誰もがMUTSUMIの不在を感じながら、それでも爽快に輝いていた、と伝えている。2015年にはSxOxBらとのライブ、2019年にはデビュー25周年として未発表テイクを含む3枚組ベスト『SUPER JUNKY MONKEY is the BEST』も発売された。

不在を抱えたまま、音を鳴らし続ける。それは彼女を忘れるためではなく、忘れないための方法なのだと思う。

なぜ今、Super Junky Monkeyなのか

最後に、これを読んでいるあなたに言いたい。今、女性メンバーがラウドな音楽で世界と渡り合う姿は、もう特別な光景ではなくなった。だが、その道の一番最初の轍を刻んだバンドの一つが、Super Junky Monkeyだったことは、もっと知られていい。概念すらなかった時代にミクスチャーをやり、招待も後ろ盾もない時代に海を渡り、ビルボードの表紙まで辿り着いた4人の女性たち。

『SCREW UP』でも『地球寄生人』でもいい。一度、あの音の渦に飛び込んでみてほしい。四半世紀以上前の音源が、今のどのバンドよりも自由に聴こえる瞬間が、必ずある。そして、その渦の中心で吠えている声の主が、確かにこの世界にいたことを、覚えておいてほしい。歌こそ我らの宇宙。その宇宙は、再生ボタン一つで今も広がる。

ではまた。