まず、90秒ではない

アニメのオープニングは90秒。よく言われるし、だいたい合っている。

だが正確には違う。89秒。

なぜ1秒足りないのか。曲の前後に、それぞれ0.5秒の「ノンモン」を入れなければならないからである。ノンモンというのは業界用語で、音のない部分のこと。頭に0.5秒、尻に0.5秒。合わせて1秒。だから90秒の枠に対して、音楽が入れられるのは89秒になる。

この話は2017年5月7日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』でも取り上げられていて、そこそこ知られた業界の常識ではある。

ただ僕が面白いと思うのは、この「1秒足りない」という事実そのものより、その89秒という数字が日本の作曲家に何をさせてきたか、という部分だ。

結論から書くと、この尺は制約であると同時に、呪いでもある。制約が芸術を生むという美談だけで語ると、たぶん半分見落とす。今日はその話をする。

なぜ90秒なのか、逆算する

まず、この90秒がどこから出てきたのかを整理しておく。

30分枠のテレビアニメを分解すると、おおむねこうなる。

CMが2分30秒を2回で、合わせて5分。残りが25分。そこからオープニング1分30秒とエンディング1分30秒を引くと、本編に使えるのは22分。それを前半11分、後半11分に割る。

この配分が、日本のテレビアニメの基本フォーマットとして機能してきた。

つまり90秒という数字は、音楽的な理由から決まったのではない。CMの尺を先に確保して、本編の尺を確保して、余ったところを頭と尻で山分けした結果でしかない。

余りものなのだ、そもそもが。

なお、本編を24分、CMを3分として計算する説明も見かける。細部は時代や局によって揺れがあるようで、ここは資料によって数字が食い違う。ただ「CMと本編を先に取って、残りをOPとEDで割る」という構造自体は変わらない。

起源は1963年、しかも省力化のためだった

ここが、この記事でいちばん書きたかったところだ。

この構造の始まりは、1963年放送の『鉄腕アトム』だとされている。日本初の、1話30分の連続テレビアニメである。

当時、アニメといえば80分程度の劇場用長編を1年以上かけて作るものだった。それを毎週30分、しかも連続で作るというのは、常識的に考えて不可能だと思われていた。手塚治虫とスタッフはそこを、止め絵にしたり、口や目だけを動かしたり、同じ絵を使い回したりという創意工夫で突破した。

その工夫のひとつが、毎週使い回せる主題歌アニメを本編の前後に置くことだった。

つまりオープニングとエンディングは、最初、作画の省力化のために発明されたものである。

毎週新しく描かなくていい映像を、番組の頭と尻に1分ずつ挟めば、その分だけ本編に手が回る。そういう、極めて実務的な発明だった。

そして60年以上経ったいま、その1分ちょっとの枠は「作家が全力を注ぐ勝負どころ」として神格化されている。

手抜きのために作られた場所が、いつのまにか一番手を抜けない場所になった。この逆転が、僕は本当に面白いと思う。

89秒に詰め込むための技術

では、その89秒に何が詰め込まれているのか。

日本のポップスの標準的な構成は、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、という流れになっている。フルサイズならここに2番があり、Dメロや大サビが続く。4分半なら全部入る。

89秒には、全部は入らない。

だから作家は削る。何を削って何を残すかの判断が、そのままアニソンの作曲技術になる。

いちばんわかりやすいのがイントロだ。フルサイズなら15秒や20秒かけて世界に引き込むところを、数秒に圧縮するか、いっそ消してサビから始める。冒頭でいきなり掴まないと、視聴者にスキップされる。

次にBメロ。AメロからサビへのブリッジであるBメロは、89秒では真っ先に削減対象になる。あるいは4小節だけ残して、機能を果たしたら即座にサビへ渡す。

2番はそもそも存在しない。TVサイズは基本的に1番だけで完結する構造になる。

そして最後、ノンモンの0.5秒がある。曲の終わりが、無音で本編に切り替わる。だからTVサイズの終わり方には、フルサイズとは別の設計が要る。余韻を残しすぎてもいけないし、ぶつ切りに聞こえてもいけない。

これらを全部踏まえたうえで、89秒に収める。

書いていて改めて思うが、これは相当に特殊な職能だ。

歌詞の側にも制約が来る

音の話だけではない。詞にも直撃する。

Real Soundに掲載されたあるインタビューで、杉山という作家が興味深いことを語っている。要旨はこうだ。89秒でいいと思わせられない曲は、どのコンテンツにも負けてしまう。ただしタイトな構成にすると歌詞の量が難しくなる。言葉の数が減るので、状況説明ができない。

そして具体例として、教室にいる少女が空を見上げて葛藤を抱えている、という状況を書こうとしたとき、「空を見上げる」という言い回しですら音数に入らなかった、という話が出てくる。もっと短い言い方に置き換えざるを得なかった、と。

「空を見上げる」が長すぎる世界。

これ、詞を書く人間にとってはかなり厳しい環境だ。日本語は音数を食う言語で、英語なら1音節で済むものが3音も4音も必要になる。そのうえで89秒に物語を入れろと言われる。

結果として何が起きるか。アニソンの歌詞が、圧縮された抽象語の連打になりがちなのは、作家の趣味ではなく、構造上そうなるからだ。

「アニソンの歌詞は大袈裟で漢語が多い」という揶揄をたまに見るが、あれは尺の問題である。説明する時間がないから、意味の密度が高い語を選ぶしかない。

そして、順序が逆転した

ここからが本題の後半だ。

かつては、フルサイズの楽曲があって、そこから89秒を切り出すという作り方が普通だった。だが現在は違う。

シンガーソングライターのオーイシマサヨシが語ったところによれば、アニソンはまずテレビサイズから作る。89秒を提出してOKが出たら、そこからフルコーラスを作る。だいたいのアニソンクリエイターはそういう作り方をしている、と。

アニソン情報番組『リスアニ!RADIO』の第29回でも同じ話題が出ていて、音楽プロデューサーの冨田明宏氏が「最近はそっちのほうが多い」と答えている。さらにMCの青木佑磨が、DTMで1人で仕上げる作家は先にTVサイズを作る人がいて、あるクリエイターからは「作っていると勝手に89秒になるようになってきた」と聞いた、というエピソードを紹介している。

体内に89秒の物差しが入ってしまった人間が、実在する。

これはもう職人技の域で、素直にすごいと思う。思うのだが、同時に、僕はここに引っかかりも覚える。

89秒が本体で、フルサイズが余り物になっていないか

はっきり書く。

89秒を先に作ってからフルサイズに引き伸ばすという工程は、構造的に「フルで聴くと間延びする曲」を生みやすい。

考えてみてほしい。最初に作られた89秒には、その曲のいちばん強い部分が全部入っている。イントロの掴み、最良のメロディ、最良のフック、最良のサビ。全部だ。そこにOKが出てから、残りの3分を後付けする。

その3分に、89秒と同じ密度が入るだろうか。

もちろん入れている作家もいる。だが平均で言えば、後付けの2番やDメロが、最初の89秒の熱量に届かないケースは普通にある。フルサイズを通しで聴いたときに「TVサイズのほうが良かった」と感じた経験、たぶん誰にでもあるはずだ。

あれは気のせいではない。制作の順序がそうなっているからだ。

「制約が名曲を生む」という言い方は美しいし、実際そういう側面はある。だがその制約の外側、つまりフルサイズの領域が痩せていくという副作用も、同時に起きている。

89秒は最強のショーケースであり、同時に、曲の残りを従属させる装置でもある。

配信時代がもたらした、もうひとつの説

これは裏が取れていない話として書くが、興味深い説がある。

かつて90秒は「90秒程度」であって、そこまで厳密ではなかった。それが近年きっちり90秒に揃うようになったのは、動画配信サービスの30秒スキップを3回押すとちょうど飛ばせるように、制作側から指定されているのではないか、という見方だ。

事実かどうかは確認できなかった。個人の推測として書かれているものなので、そのまま鵜呑みにはできない。

ただ、この説が説得力を持ってしまうこと自体が、いまの状況をよく表している。テレビの放送枠から生まれたフォーマットが、配信のスキップボタンに最適化される。省力化のために作られた尺が、今度は飛ばされるために整えられる。

作り手が全力を注ぐ89秒が、視聴者に飛ばされる前提で設計されているとしたら、これほど皮肉な話もない。

劇場版には、この縛りがない

補助線として、対比になる例を挙げておきたい。

テレビシリーズと違って、劇場アニメの主題歌には89秒の制約がない。エンドロールの尺は作品ごとに違うし、そもそも主題歌をフルで流せる。

たとえばジェッジジョンソンが2018年のアルバム『ストライク・リビルド【ダウナー】』の最後に置いた「Rust」は、劇場アニメ『PEACE MAKER 鐵』前篇の主題歌として書かれた曲だ。4分44秒ある。アルバムのラストトラックとして、そのまま機能している。

SOUL’d OUTが2007年に出した「VOODOO KINGDOM」も、劇場版『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』のテーマソングだった。こちらもテレビサイズの制約とは無縁の場所で作られている。

一方、テレビシリーズの側にはVELTPUNCHの「CRAWL」がある。テレビ東京系のTVアニメ『隠の王』オープニングテーマで、彼らのメジャー初アルバム『Paint your life gray』に収録されている。フルサイズは4分24秒。放送で流れたのは89秒だ。

同じバンドの同じ曲でも、視聴者が知っているのは89秒版で、リスナーが知っているのは4分24秒版。この二重構造が、アニメタイアップを持つバンドには必ずついて回る。

そしてBOOM BOOM SATELLITESの最後のシングル「LAY YOUR HANDS ON ME」も、TVアニメ『キズナイーバー』のオープニングテーマだった。あのバンドの最後の曲もまた、89秒に切り出されて毎週流れていたわけだ。

こうして並べると、アニメOPというフォーマットが、日本のロックバンドにとってどれだけ大きな入口になってきたかがよくわかる。アンダーグラウンド寄りのバンドが、89秒だけ、お茶の間に届く。

まとめ

整理する。

アニメのオープニングは90秒枠だが、前後に0.5秒ずつのノンモンが入るため、音楽に使えるのは実質89秒。この尺は音楽的な必然ではなく、CMと本編を確保した残りを頭と尻で割った結果として決まった。

起源は1963年の『鉄腕アトム』で、毎週使い回せる映像を前後に置くという、作画の省力化のための発明だった。

その89秒に収めるため、イントロは圧縮され、Bメロは削られ、2番は消え、歌詞は音数の制約に晒される。現在は89秒を先に作り、承認後にフルサイズへ引き伸ばす工程が主流になっている。

そして僕が言いたいのは、この最後の点だ。

89秒は、日本のポップスに世界でも類を見ない圧縮技術をもたらした。それは間違いなく財産だ。一方で、その外側にある3分間が余り物になるリスクも、同じ構造から生まれている。

制約は技術を鍛える。だが、制約の外で何を鳴らすかは、また別の能力だ。

今度アニメを観るとき、オープニングを飛ばさずに聴いてみてほしい。そしてそのあと、フルサイズを通しで聴いてみてほしい。89秒に全部入っていたのか、それとも4分半かけないと辿り着けない場所があったのか。

その差が、作家の力量そのものだと思う。

ではまた。