こんにちはmonaです。

ミュージックビデオの定番ロケ地、と言われて思い浮かぶのは何だろう。

海辺、屋上、夜の街、廃墟、だいたいこのへんが「邦ロックMVあるある」の上位を占めている。実際、岡崎体育氏の名曲『MUSIC VIDEO』が皮肉ったように、バンドのMVって、ほぼ同じ場所で撮られている疑惑がある。岡崎体育氏、本当によく観察している。

そんな中、じわじわと存在感を増しているのが「遊園地」だ。

考えてみると不思議だ。MVのロケ地として遊園地を選ぶ理由なんて、本当はそんなにない。閉園後に貸し切るとか、営業中にお客さんを入れたまま撮らせてもらうとか、ハードルは普通に高い。それでもわざわざ遊園地を選んで撮りに行くバンドが、ここ数年で目に見えて増えている。

理由は、たぶん「遊園地という場所が持つ特殊な感情」にある。観覧車もメリーゴーラウンドもジェットコースターも、ひとつひとつが既に物語の小道具として機能してくれる。背景に観覧車が映るだけで、画面に「青春」「淡い恋」「終わりかけの夏」「もう戻れない時間」みたいな意味の総量がドサッと注ぎ込まれる。これはコインランドリーや屋上にはない、遊園地ならではの情緒のラクして稼げ感だ。演出効率がやたらいい。

しかも、経営的にしんどい時代を迎えている地方の遊園地——としまえんの閉園、各地のレジャーランドの縮小——が、MVのロケ地として再発見されているという流れもある。廃れかけた場所が、別の文脈でもう一度光る。これがなんか、見ていて沁みる。

というわけで今回は、MVに遊園地を使ったバンド5組を、それぞれの「その遊園地じゃなきゃダメだった理由」と一緒に紹介していく。MVを観終わる頃には、たぶん遊園地に行きたくなっているはずだ。そして実際、聖地巡礼がてら行ける場所も多い。一石二鳥である。

オレンジスパイニクラブ『キンモクセイ』

まず、避けて通れない一曲。TikTokをきっかけに2億回再生を突破した、オレンジスパイニクラブの代表曲『キンモクセイ』。聴いた瞬間に、特定の世代の心臓が一斉にギュッとなる、現代邦ロックの強烈な発明品だ。

撮影地は茨城県日立市の「日立市かみね公園 かみねレジャーランド」。メンバーの地元・茨城のレトロな遊園地で、ここがまた絶妙にいい味を出している。

このMVの何が凄いって、「派手じゃない遊園地」を選んだ判断力だ。よみうりランドや富士急じゃなく、地方都市の小さなレジャーランド。ペンキの剥げかけた感じ、平日昼間の人の少なさ、「楽しいけれど、どこか切ない」という空気感が、曲のテーマと完璧にハマっている。「元彼の話を聞かされる」というあの、どうしようもなくしんどい記憶を、絢爛豪華なディズニーランドで撮ったら絶対にウソになる。ペンキが剥げてるくらいの遊園地で撮ってこそリアルになる、というロジック。これが効いている。

監督は同じ茨城出身で、ベースのゆっきー(川井景介名義)。バンドのMVを内製してしまうDIY精神もエモい。身内で、地元で、低予算で、それでも刺さる——インディーロックの理想形がここにある。「キンモクセイの香りで思い出す、ローカルな青春」を、ローカルな遊園地で撮る。完全に正解の選択である。

ちなみに、かみねレジャーランドは営業中の遊園地で、誰でも普通に行ける。MV聖地巡礼として行くと、観覧車に乗りながら確実に『キンモクセイ』が脳内再生される。これは保証する。

Bye-Bye-Handの方程式『ひかりあうものたち』

大阪発、中学の同級生で結成された4人組ロックバンド・Bye-Bye-Handの方程式。バンド名がまず長い。略してバイハンと呼ばれている。

『ひかりあうものたち』は、TVアニメ『デジモンゴーストゲーム』のエンディングテーマ**として書き下ろされた一曲。「宇宙の先を見ていたわ/木星の輪っかがレコードみたいに回ってる」という歌い出しからもう、完全に頭の中が宇宙と少年と夏休みになる。歌詞のスケール感が、ジュブナイル小説の冒頭3ページくらい一気に進む勢いだ。

このMVが面白いのは、遊園地という場所を「現実空間」じゃなく「記憶の風景」として使っているところ。観覧車もメリーゴーラウンドも、いま目の前にある実物じゃなくて、「いつか観た夏の景色」のフィルム素材として扱われている。少年たちが走る、回る、ふざけ合う——そういう動きを、遊園地の色彩のバックに置くことで、画面が一気にノスタルジー成分100%になる。歌詞の「漠然と僕らは大人になるのを拒んでた」というフレーズと、画面の遊園地は、もう同じ意味のことを別のレイヤーで言っている。

バイハンの真髄は、「平成生まれの郷愁」を最高純度で抽出する技術にある。バンド名にしろMVにしろ、どこかソフビ・ガチャガチャ・駄菓子屋・夕方アニメの方角を向いている。「あの頃、確かにあった気がするけど、もう戻れない時間」——遊園地は、その感情を立ち上げる装置として最強だ。遊園地は、平成生まれにとっての記憶のハブになっている。バイハンはそこを完全に理解した上で、撮ってる。

Homecomings『ラプス』

京都を拠点に活動する、ギターポップ/ネオアコの最重要バンド・Homecomings。同郷の盟友・岸田 繁(くるり)がアルバム『New Neighbors』に参加したことでも話題になった。

『ラプス』は、TVアニメ『君は放課後インソムニア』のエンディングテーマ。アニメの舞台は石川県の七尾。MV撮影地はそのまま石川県の遊園地「手取フィッシュランド」——畳野彩加(Vo, G)と福富優樹(Gt)の地元、まさに自分たちが子ども時代に通った場所**で撮影されている。地元への帰還、というバンド名そのままの行為だ。

そしてこのMVが採用したのが、「夜の遊園地」という最強のジャンル。

明るい昼の遊園地は楽しい場所だ。けれど、夜の遊園地は別の生き物になる。観覧車のイルミネーション、メリーゴーラウンドの音楽、人がいなくなったあとの空気——全部が「終わったあとの残響」になる。Homecomingsの音楽が持つ、あの「日常の中にある、ささやかな哀しみ」と、夜の遊園地の温度は、化学反応みたいに溶け合う。

監督はTakuya Setomitsu。Homecomingsとは初タッグだったらしいが、夜の遊園地の使い方が天才的だ。観覧車のゴンドラの中、人気のない通路、ライトに照らされたメリーゴーラウンド——そこに、二人の登場人物の物語がそっと置かれている。アニメの世界観と、楽曲の世界観と、ロケ地の世界観が、3つ綺麗に重なっている。これは演出として相当ハイレベルだ。

手取フィッシュランド、行こう。能登半島地震からの復興エリアでもあり、訪れること自体が応援にもなる。MV聖地巡礼で地域貢献までできる、というおまけ付き。

indigo la End『心の実』

川谷絵音率いるindigo la End。ゲスの極み乙女。の方ではなくこっち、というのが我々邦ロックリスナーの共通認識である。アルバム『濡れゆく私小説』収録の『心の実』、これがまた凄い。

メンバー全員が、メリーゴーラウンドの前で演奏する。

しかもバンドメンバーが演奏してる傍らで、川谷絵音は女性2人とデートしている。長田カーティス(G)、後鳥亮介(B)、佐藤栄太郎(Dr)の3人は一緒に弁当を食べたり、顔出し看板で記念撮影したりしている。ボーカルだけリア充感、他のメンバーが男子3人で遊園地を満喫している温度差——これがまた笑えるほど良い。みんなで撮りに来て、みんなで楽しんで帰る、という遊園地MVの正しい使い方を体現している。

このMVの素晴らしさは、遊園地を「セット」として使い倒しているところだ。背景として置くんじゃなく、「演奏場所」「デート場所」「弁当場所」「写真撮影場所」として、遊園地のあらゆる要素を活用する。観覧車を映せばいいわけじゃない。メリーゴーラウンドは演奏のステージになり、顔出し看板は男子の遊び道具になり、ベンチは弁当のテーブルになる。遊園地が、本来の機能のまま、MVの中で稼働している。

川谷絵音の楽曲が持つ、メロウでちょっと退廃的な空気と、家族連れで賑わう昼の遊園地のミスマッチも面白い。「派手なポップソングを、めちゃくちゃ普通の場所で撮る」——このアンバランスが、indigo la Endのセンスそのものだ。わざわざメリーゴーラウンドの前で演奏する確信犯感、最高に良い。

Vaundy『踊り子』

最後に、遊園地MVの2020年代を代表する一作を紹介したい。Vaundyの『踊り子』だ。

撮影地はよみうりランド——東京近郊で最もMV利用されている遊園地と言って差し支えない聖地。観覧車「大観覧車」、空中ブランコ「ミルキーウェイ」、夜のイルミネーション——よみうりランドの装備が全部そのままMVのセットになる、という最高のキャスティング。遊園地そのものの広告にしか見えないくらい、よみうりランドの魅力を映し切っている。

そして主演は小松菜奈。彼女が空中ブランコでぴょんぴょん跳ねたり、観覧車を見上げたり、夜の遊園地でくるくる踊ったり——もう全部のシーンがそのままポスターになる強度。MV撮影中、小松菜奈は『踊り子』のメロディが頭から離れなかったらしい。「一日中、踊り子が頭の中で何回も回り続け、私もくるくる・ぴょんぴょん・るんるんと」と本人が語っている。完全に、楽曲の世界観に飲まれている。演者がこういう状態の時、画面は確実に良くなる。

このMVがもたらしたのは、「遊園地MV=青春のエモ」というフォーマットの完成だと思う。それまで遊園地はどちらかと言うと「ノスタルジック」な側面で使われていたけれど、Vaundyと小松菜奈は「現在進行形のキラキラした青春」として遊園地を再定義した。観覧車のイルミネーションが、過去の風景じゃなく、今の祝福として光る。邦ロック界の遊園地観を、世代ごと更新した一作である。

なぜバンドは遊園地で撮るのか——まとめにかえて

5組観てきて、共通点が見えてくる。

遊園地は、「物語のショートカット装置」だ。観覧車を映すだけで青春が、メリーゴーラウンドを映すだけで切なさが、夜のライトアップを映すだけで終わりかけの恋が、画面に立ち上がる。これがコインランドリーや屋上では出せない、遊園地ならではの暴力的な情緒だ。たった数秒の背景で、感情を3段階くらい上に運んでくれる。省エネ最強。

しかも遊園地には、「子どもの頃の記憶」と「大人になってから訪れた時の少しの寂しさ」が同時に貼り付いている。これは多くの人が共有している感情で、世代を超えて刺さる。バンドが遊園地を選ぶのは、最大公約数の感情を確実に呼び起こすためでもある。戦略としても賢い。

そして個人的に大きいと思うのは、地方の遊園地が、MVを通して再発見されていること。日立かみね、手取フィッシュランド、よみうりランド——営業中の遊園地が、別の文脈で光る。これは経営的にも文化的にも重要な動きだ。音楽が、土地に観光客を運んでくる。これって、フィルムコミッションが昔から狙っていた効果が、MV経由で自然発生しているということだ。バンドと遊園地の、知らぬ間に成立している共生関係である。

なので、もしこの記事を読んで気になったMVがあったら、実際にその遊園地に行ってみてほしい。観覧車に乗りながら『ラプス』を聴く、メリーゴーラウンドを横目に『キンモクセイ』を聴く、ミルキーウェイで『踊り子』を聴く——これは聖地巡礼を超えた、感情の三次元化**だ。**Spotifyで聴くのとは、もう別の体験になる。

最後に、こんな記事を書いている僕も、最後に遊園地に行ったのは何年前だっけ……と本気で記憶を辿ってしまった。バンドのMVを観ると、なぜか自分の青春の遊園地まで思い出される。これも、遊園地が背負っている情緒の重さの証拠だ。今年こそ、観覧車に乗ろう。一人でもいい。むしろ一人で乗ると、MV的にエモい。

ではまた。