「これ、何て言ってるの?」

デスメタルを誰かに聴かせたとき、十中八九返ってくる反応がこれだ。あの地の底から響くような唸り声を初めて聞いた人は、たいてい笑う。歌詞が聞き取れない、何ならネイティブですら聞き取れない、だからこれは音楽として欠陥品だ——そういう顔をする。

気持ちは分かる。でも、断言したい。あの声を「何言ってるか分からないから無意味」と切り捨てた瞬間、その人は音楽の楽しみ方をひとつ、まるごと取りこぼしている。今日はその「損失」の中身を、発声の仕組みから歴史まで掘り下げたい。

そもそも、あれは「歌」ではなく「楽器」だ

最大の誤解はここにある。デスメタルのボーカル——通称グロウルやデス声と呼ばれるあの発声——を、僕らは「歌」の枠組みで評価しようとしてしまう。歌なのだから歌詞が聞き取れるべきだ、と。だが、そもそもの前提が違う。

社会学者のデーナ・ヴァインシュタインは、デスメタルのヴォーカルについてこう語っている。このスタイルの歌い手は独特の声を使い、歌詞を歌うというよりも、がなったり、うなったりしている。声をディストーションとして使うのだと。

このひと言が本質を突いている。ディストーションとは、ギターをわざと歪ませて迫力を出すエフェクトのことだ。つまりデス声とは、声帯という楽器をあえて歪ませ、一つの「音色」として鳴らす技術なのだ。歌詞を伝える器官ではなく、バンドサウンドに組み込まれた一つのパートとして声を使っている。

他の研究者も、デスメタルのヴォーカリストの多くが、もはや歌詞が聞き取れないほど低く獣のようなグロウルを使う一方で、高い叫び声やオペラのような発声、力強く歌い上げるスタイルまで使い分けると指摘している。つまり聞き取れないのは技術が低いからではなく、聞き取れない音色を意図的に選んでいるからだ。ここを理解しないと、永遠にこの音楽の入り口に立てない。

あの声は、咳やうめきを「制御」して出している

では、あの声はどうやって出しているのか。仕組みを知ると、笑えなくなる。

通常の歌声は、声帯を振動させて出す。ところがデス声では、声帯の上にあるもう一対のヒダ、仮声帯と呼ばれる部分を関与させて、独特の歪んだ響きを作り出すと考えられている。専門家による喉頭内視鏡の観察では、デス声の発声時に仮声帯が特殊な動きを見せることが確認されている。

イメージとしては、咳き込みやうめき声に近い。本来、喉は喉頭蓋・仮声帯・声帯という三層の弁を持っていて、異物が入ったときに咳で押し出す防御反応を備えている。デス声は、その防御的な身体反応を、随意的に——つまり自分の意思でコントロールして——音楽的な音色に変換している。普段は無意識にむせる動きを、訓練によって楽器化しているわけだ。

しかも興味深いのは、正しく習得すれば喉を壊さずに出せる技術だという点だ。力任せに怒鳴っていると思われがちだが、実際は脱力と響かせる場所のコントロールが肝になる。ボイストレーニングの専門家も、グロウルはむしろそんなに力はいらない、と口を揃える。PVで凄まじい形相で出しているから誤解されがちだが、あれは表現としての顔芸の側面も大きい。要するに、見た目ほど野蛮な行為ではなく、極めて繊細な喉のコントロール技術なのだ。

この声には、ちゃんとした「発明者」がいる

デス声は、誰かが思いつきで唸り始めたら広まった、というものではない。明確な系譜がある。

デスメタルというジャンルの原点としてよく挙げられるのが、サンフランシスコのポゼスト(Possessed)が1985年にリリースした『Seven Churches』だ。「初のデスメタルアルバム」と評されることも多く、そのものずばり「Death Metal」という曲まで収録されている。

そして、このジャンルを決定づけた最重要人物が、フロリダのバンド、デス(Death)を率いたチャック・シュルディナーだ。彼はしばしば「デスメタルの父」と呼ばれる。1967年生まれ、1983年からバンドを始め、ジャンルそのものを創造し進化させた人物だ。

おもしろいのは、彼のボーカルが単なる唸り声ではなかったことだ。初期は荒々しい吐き捨て型だったが、1991年の『Human』以降、バンドはテクニカルでプログレッシブな方向へ進化し、複雑なリズムや哲学的な歌詞を導入していった。デス声でありながら、そこには高い感情表現が込められていた。彼は2001年に34歳の若さで脳腫瘍により亡くなったが、その遺産は今なお色褪せていない。

つまりあの「何言ってるか分からない声」は、一人の天才が音楽的な探究の末に確立し、後続が技術として磨き上げてきた、れっきとした表現の歴史を持っている。それを一笑に付すのは、ジャズのスキャットを「意味のない声」と笑うのと同じくらい、もったいないことだ。

「汚さ」はバグではなく、仕様である

「でも、やっぱり汚い声じゃないか」という反論もあるだろう。その通り。汚い。だが、その汚さは欠陥ではなく、設計思想なのだ。

デスメタルが扱うテーマは、死、暴力、人間の暗部、世界の不条理といった、美しくないものばかりだ。そんなテーマを、透き通った美声で歌ったら、どうなるか。完全にちぐはぐになる。地獄の情景を、アイドルの歌声で表現するようなものだ。

グロウルの汚さは、デスメタルというジャンルが扱う、おぞましさや不穏なテーマに正確に対応した結果にすぎない。内容と声質が、完璧に一致している。歌詞が聞き取れなくても、あの声を聞いた瞬間に「これはただ事ではない」と全身で理解できる。意味を超えて、感情と空気が直接伝わってくる。これは、きれいな歌声には絶対にできない芸当だ。

だから、笑う人は何を損しているのか

整理しよう。デス声を「何言ってるか分からない」と笑って終わる人は、三つのものを取りこぼしている。

ひとつ目は、声を楽器として聴く快楽だ。歌詞を追うのをやめて、声を一つの音色として全体のサウンドに溶け込ませて聴く。すると、ギターやドラムと声が一体となって押し寄せてくる、あの圧倒的な音の壁を体感できる。ふたつ目は、人体の限界に挑む技術への驚きだ。咳の反射すら音楽に変えてしまう、喉の繊細な制御。これはアスリートの妙技を見るのに近い興奮がある。

そして三つ目、いちばん大きな損失は、意味を介さずに感情を受け取る経験だ。言葉が分からないからこそ、声の質感そのものが、怒りや絶望や荒々しい生命力を、ダイレクトに脳に叩き込んでくる。言語という回り道を通らずに、音が直接、感情に触れる。この原始的な体験は、歌詞が明瞭な音楽ではなかなか味わえない。

外国語の歌を、意味が分からなくても「かっこいい」と感じた経験は誰にでもあるはずだ。デス声は、その感覚をもっと極端に推し進めたものだと思えばいい。意味は分からない。でも、伝わる。むしろ意味が分からないからこそ、伝わるものがある。

次にデスメタルを聴く機会があったら、歌詞を聞き取ろうとするのを、一度やめてみてほしい。あの声を、ギターやベースと同じ「音」として聴いてみる。きっと、今まで笑っていたものが、急に恐ろしくかっこよく聞こえてくるはずだ。その瞬間、あなたは取りこぼしていた楽しみを、ひとつ取り戻すことになるだろう。

ではまた。

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