THE MAD CAPSULE MARKETS——「デジコアの輸出」に最も成功した日本のバンド
「日本のバンドが海外で成功する」という言葉は、もう聞き飽きるほど聞いてきた。だが、2000年代初頭——まだSNSもストリーミングもなく、海外進出が本当に「殴り込み」を意味した時代に、欧米のラウドロックシーンへ正面から斬り込み、現地のフェスで爪痕を残しまくった日本のバンドがいたことを、どれだけの人が覚えているだろうか。
THE MAD CAPSULE MARKETS(ザ・マッド・カプセル・マーケッツ)。デジタルとハードコアを融合した、いわゆる「デジコア」サウンドを、日本から世界へ輸出することに最も成功したバンドだ。今日は彼らの異形の進化、海外での快進撃、そして謎多き活動休止までを辿りたい。
出自はゴリゴリのパンクバンドだった
意外に思われるかもしれないが、彼らのキャリアはデジタルとは無縁の場所から始まっている。
起点は1985年。KYONO(Vo)、TAKESHI UEDA(B)、室姫深(G)が中心となり、高校時代に前身バンドBERRIE(ベリー)を結成した。このベリー時代には、レッドホットチリペッパーズの来日公演の前座を川崎クラブチッタで務めたこともあるというから当時から只者ではない。1990年に現在のバンド名へ改名し、公募でMOTOKATSU MIYAGAMI(Ds)が加入。1991年、ビクターエンタテインメントから、シングル「ギチ」「あやつり人形」「カラクリの底」を3枚同時リリースするという変則的な形でメジャーデビューを果たす。
初期の彼らは、サンプリングも打ち込みもない、ゴリゴリにアナログなパンクバンドだった。しかもその音楽性とセンスは、当時を知るファンが「とんでもなく凶悪だった」と振り返るほどの剥き出しの攻撃性。初期と後期でここまでイメージの変わるバンドも珍しい、と語り草になっている。1996年にギターのISHIG∀KIが脱退した後は、サポートギタリストを迎えた3人体制で活動していくことになる。
「デジタルハードコア」という発明
転機は1997年。アルバム『DIGIDOGHEADLOCK』で、彼らは「デジタルハードコア」というジャンルを確立する。
パンクをベースにしたハードでラウドな生演奏に、テクノロジーを駆使したデジタルでエレクトリックなサウンドプロダクションを大胆に融合させる。言葉にすれば簡単だが、これを1990年代後半に、ここまで高い純度とヘヴィネスでやってのけたバンドは、世界を見渡してもごくわずかだった。人力の殺傷力と、機械の冷たい暴力性。その二つが混ざり合った音は、唯一無二としか言いようがなかった。
そして1999年、その完成形が放たれる。8作目のオリジナルアルバム『OSC-DIS(オシレーター・イン・ディストーション)』だ。このアルバムこそが、彼らの運命を変える。
海外進出——フェス荒らしの快進撃
『OSC-DIS』は、日本国内に留まらず、アメリカとヨーロッパでもメジャーリリースされた。海外でシングルカットされた「TRIBE」が話題を呼び、ここから彼らの「輸出」が本格的に始まる。
その後の快進撃が、もう痛快だ。2002年には、ブラック・サバスのオジー・オズボーンが主宰する米国最大級のメタルフェス「OZZFEST」に出演。2003年には英ロック誌KERRANG!主催のフェス「GAME ON」、そして2005年には、英国最大級のロックフェスティバル「ダウンロード・フェスティバル」のステージに立った。さらに特筆すべきは、2000人クラスのキャパシティでのUKヘッドライナーツアーを成功させていることだ。フェスのゲスト枠ではなく、自分たちの名前で英国のハコを埋めた。これにより彼らは、欧米で確かな人気と知名度を獲得するに至った。
YouTubeもSpotifyもない時代。音源とライブの実力、ただそれだけで、言葉も文化も違うラウドロックの本場に食い込んだ。日本語交じりの叫びと、国籍不明のデジタルノイズ。それが偏見の壁を、音圧で物理的にぶち抜いた。「デジコアの輸出」として、これ以上の成功例を僕は知らない。
活動休止——「自然消滅」という幕引き
ところが、だ。海外での評価が頂点に達しつつあった2006年、バンドは公式サイトで突然の活動休止を発表する。発表されたコメントによれば、活動再開の時期は未定で、しばらくは個人での活動を中心に行っていく、とのことだった。
公式に「解散」と明言されたことは、実は今日まで一度もない。だが、その後の経緯は雄弁だ。ベースの上田剛士はインタビューで活動休止の理由を「方向性の違い」と説明し、後には「自然消滅」とまで言っている。雑誌などで彼らの名前が出るときは「ex.THE MAD CAPSULE MARKETS」と表記されることが多く、実質的には解散状態と見るのが妥当だろう。
劇的な解散ライブも、涙の声明もない。あれほど轟音で世界を殴り続けたバンドが、最後は音もなく、すうっと消えた。この幕引きの素っ気なさが、いかにも彼ららしいといえば、らしい。湿っぽさとは無縁の、機械のような終わり方だった。
メンバーは今も最前線にいる
ただし、誤解しないでほしい。バンドは止まったが、メンバーは止まっていない。むしろその後の活動が、彼らの遺伝子の強さを証明している。
上田剛士はソロプロジェクト「AA=(オールアニマルズイコール)」を立ち上げ、映画のサントラや主題歌、楽曲提供で活躍。中でも最大のヒットは、BABYMETALに提供した「ギミチョコ!!」だろう。世界中で再生されたあの曲の根っこに、マッドのデジコアDNAが流れていると思うと感慨深い。ボーカルのKYONOは「WAGDUG FUTURISTIC UNITY」やKYONO名義で活動を継続。ドラムの宮上元克は、数々のバンドのサポートを経て、EXILEのTAKAHIROがボーカルを務めるバンド「ACE OF SPADES」のメンバーとしても活動している。
バンドという器は消えたが、三人はそれぞれの形で、今も日本のラウドシーンの最前線に立ち続けているのだ。
おすすめCD——この3枚から入れ
さて、ここからが本題かもしれない。これから聴く人のために、入り口となる3枚を挙げる。
『OSC-DIS』(1999年)——まずは問答無用の代表作
迷ったらこれだ。ハードコア、パンク、メタル、テクノ、ロックの要素に、マッド独特のデジタルサウンドが注ぎ込まれた、最もバランスの取れた一枚と評価される傑作。海外進出の起点となったアルバムでもある。
冒頭の「TRIBE」は、ブリブリのヘヴィな電子音から始まり、聴き手の予想をガンガン裏切っていく問題作。デジコア入門の儀式として、まずこの一曲を浴びてほしい。シングル曲「PULSE」は全体的に聴きやすくバランスがよく、初めての人への入り口として最適だ。CMソングにもなった「GOOD GIRL」のような曲まで入っていて、暴力性とキャッチーさが同居する彼らの魅力が、ここに全部詰まっている。捨て曲なし。
『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年)——デジコア誕生の瞬間
「デジタルハードコア」というジャンルが確立された、転換点の一枚。『OSC-DIS』の整った完成度に対して、こちらには発明直後の生々しい混沌がある。「SYSTEMATIC.」をはじめ、人力とデジタルが衝突する瞬間の火花を聴きたいなら、ここへ遡るべきだ。バンドが変態(メタモルフォーゼ)を遂げる、その瞬間の記録である。
『010』(2001年)——デジタル側への深化
『OSC-DIS』の次に放たれた9作目。前作より、さらにデジタル成分を深化させた作品だ。肉感的なグルーヴと高速のブレイクビーツが絡まり合う「CHAOS STEP」、疾走する「FLY HIGH」など、こちらも名曲揃い。『OSC-DIS』の激しさと聴き比べると、バンドが止まることなく進化し続けていたことがよく分かる。なお、入門用としてはベスト盤『1997-2004』(2004年)もあるので、全体像を一気に掴みたい人はそちらからでもいい。
まとめ——早すぎた、しかし確かに届いた
整理しよう。THE MAD CAPSULE MARKETSは、パンクバンドとして出発し、「デジタルハードコア」を発明し、『OSC-DIS』を武器に欧米へメジャーリリースで進出。OZZFEST、ダウンロード・フェスティバルといった本場の大舞台を踏み、UKでのヘッドライナーツアーまで成功させた。そして2006年、頂点の余韻の中で、静かに活動を止めた。
彼らの音を今聴き返すと、驚くほど古びていない。むしろ、デジタルとラウドの融合が当たり前になった現代にこそ、その先見性がはっきり分かる。早すぎたのだ。だが、早すぎた彼らの音は、確かに海を越えて届いていた。日本のバンドが世界で戦うための航路は、彼らがその轟音で切り拓いた部分が、間違いなくある。
日本のラウドロックを代表するモンスターバンドであり、無数のフォロワーを生んだ源流。まだ通っていない人は、ぜひ『OSC-DIS』の再生ボタンを押してほしい。四半世紀前の日本から放たれた未来の音が、あなたの鼓膜を、容赦なく殴ってくるはず。
ではまた。

