日本のロックを語るとき、話はいつも東京に偏る。だが、本当に骨太で、本当に信頼できる音は、しばしば北の大地から届いてきた。bloodthirsty butchers、eastern youth——北海道は、轟音と叙情を兼ね備えた硬派なバンドを、不思議なほど多く輩出してきた土地だ。

その系譜の中に、知る人ぞ知る、しかし絶対に外せない一組がいる。COWPERS(カウパァズ)。名前の響きで一瞬ぎょっとさせられるが、ギャグバンドの要素は皆無。その音は、北国のオルタナティブ/ポストハードコア/エモを代表する筋金入りの本物だ。そして彼らの物語は、解散後にナンバーガールの中尾憲太郎と交差し、さらには亡き吉村秀樹との絆を名前に刻んだバンドへと、今も続いている。今日はこの轟音の系譜を、結成から現在まで丸ごと辿りたい。

「オルタナティブ」って、結局なんなんだ。一番意味不明なジャンル名について考えてみた「オルタナティブ」とは何の代替なのか。産業ロックへの反発から生まれ、売れた瞬間に自らの定義を裏切ったこのジャンル名の矛盾を、語源・歴史・グラミー部門化の皮肉まで掘り下げて検証。音楽史上もっとも意味不明なジャンル名の正体に迫る。...

大学の軽音サークルから始まった

COWPERSの始まりは、1992年9月。ギター・ヴォーカルの竹林現動が、同じ大学の軽音サークルに在籍していた小森望(B/Vo)と戸嶋智武(Dr)を誘って、札幌で結成した。初期は海外のハードコアバンドのコピーなどを演奏していたという、ごく普通のスタートだ。

だが、メンバーの変遷は平坦ではなかった。1994年初頭にギターの高橋一朋が加入し、ツインギター編成が固まったかと思えば、同年6月には戸嶋が脱退。一時は小森の兄がサポート的にドラムを叩くという綱渡りの時期を経て、ドラマーには浜野ナオフミが収まる。ちなみにメンバー名の表記は「竹林現動」「竹林ゲンドウ」など、当時から割とぶれていたらしい。この緩さも、どこかインディーらしくていい。

こうした出入りを経ながら、バンドは10年間で2枚のフルアルバムと数々のスプリット盤を残し、2002年に解散する。派手な物語ではない。だがこの地味な10年が、後のシーンに確かな爪痕を刻むことになる。

「熱く冷たい」轟音——COWPERSの音楽性

彼らの音を一言で表すなら、「熱く冷たい」だ。

音楽的な背骨は、FUGAZIやDrive Like Jehuといった、ソリッドで鋭利なポストハードコア。日本人のバンドでここまでFUGAZIの音楽性を受け継いだのは、COWPERSが先駆けだったのではないか、と評する声もある。だが彼らは単なるフォロワーではなかった。最大の武器は、二本のギターの絡み合いだ。切れ味鋭いリフが交差し、変拍子を孕んだ展開がうねり、その上に、絶叫して度々音程が外れてしまうボーカルが乗る。不器用で、しかし淀みなく誠実な音。

ある評者は彼らのサウンドを、疾走感の中に北の大地特有の冷たい空気が流れる「熱く冷たい息吹」と表現した。MOGWAIやシューゲイザーが比ではないほどの轟音、という証言まである。激情なのに、凛と冷えている。この温度差こそが、北海道のバンドに共通する独特の質感であり、COWPERSはその最良の体現者だった。メロディは実はかなりキャッチーで、もし彼らが人気者になっていたら、みんなで合唱できた曲も多かったはずだ——そんな惜しまれ方をするバンドでもある。

bloodthirsty butchersが耕した土壌の上で

COWPERSを理解するには、札幌アンダーグラウンドという「文脈」が欠かせない。

その土壌を耕したのは、bloodthirsty butchersだ。北海道から上京し、メジャー契約を交わして道を切り拓いた先駆者。COWPERSの1stアルバムは、そのbutchersの吉村秀樹がプロデュースを手がけている。北の開拓者が、北の後輩の最初の一枚に手を貸す。この師弟のような関係が、シーンの結束の強さを物語る。

COWPERSは、このbutchersや、激情と叙情のeastern youth、foulといったバンドと並べて語られる存在だった。彼らはみな、商業性に媚びず、轟音と誠実さだけで勝負する硬派な集団だ。1999年にはbutchersのトリビュート盤『WE LOVE BUTCHERS』にも参加しており、シーン内の敬意の循環がここにも見える。さらに彼らは、シカゴのSWEEP THE LEG JOHNNYとのスプリット盤(1998年)も残しており、海外のポストハードコア勢とも地続きだった。北の轟音は、ローカルでありながら、確かに世界と繋がっていたのだ。

2002年11月30日、向井秀徳が名を呼んだ

このバンドの「格」を象徴する、有名な瞬間がある。

2002年11月30日、ナンバーガールの解散ライブ、札幌ペニーレーン。最後の曲「OMOIDE IN MY HEAD」のMCで、向井秀徳は、敬愛する北のバンドたちの名を挙げた。eastern youth、foul——そして、COWPERSの名がそこにあった。

当時の日本のオルタナシーンの頂点にいたバンドが、その最後の夜に、敬意とともに名を呼んだ。これがどれほどのことか。COWPERS自身も奇しくも同じ2002年に解散しており、ナンバーガール経由で遡って彼らに「やられた」リスナーは少なくない。マニアックな域を出ないバンドだったのは事実だ。だが、わかっている人間には、確実に突き刺さる。向井秀徳のあのMCが、何よりの保証書である。

解散、そして中尾憲太郎との交差

2002年、COWPERSは約10年の活動に幕を下ろす。解散の理由が公の場で詳しく語られた記録は、管見の限り見当たらない。劇的な声明もなく、静かに終わった。だが、ここからの枝分かれが、実に豊かなのだ。

フロントマンの竹林現動は、解散後、新バンドSPIRAL CHORD(スパイラルコード)を結成する。その相棒が、ナンバーガールのベーシスト・中尾憲太郎と、200MPHのヘラだった。向井秀徳が敬愛を公言したCOWPERSの竹林と、そのナンバーガールの屋台骨だった中尾が、解散後に合流する。北海道シーンとナンバーガールという二つの太い流れが、ここで一つに結ばれた。リスナーからすれば、胸が熱くなる邂逅だ。

他のメンバーもそれぞれ歩みを止めなかった。高橋はF・I・XやDISCOTORTIONへ、小森はmoonwalkやDISCOTORTIONへ。一つのバンドの終わりが、シーンの人脈を介して、無数の枝へと分かれていく。この広がり方自体が、札幌シーンの土壌の豊かさの証だ。

zArAme——亡き吉村秀樹の名残を、バンド名に刻む

物語には、さらに美しい続きがある。

SPIRAL CHORDが2008年に活動を休止した後、竹林は2014年、札幌で新バンドzArAme(ザラメ)を結成する。このバンド名の由来が、泣かせるのだ。2012年、竹林はbloodthirsty butchersの吉村秀樹——そう、COWPERSの1stをプロデュースした、あの恩人だ——とコラボした楽曲を作っており、バンド名はその曲から引用して「zarame」と名付けられた。吉村は2013年にこの世を去っている。つまりzArAmeという名前そのものが、北の先達への追悼であり、絆の刻印なのだ。

しかも、である。このzArAmeには、初期COWPERSのドラマーだった戸嶋智武が参加している。1994年に一度袂を分かった結成時の仲間と、20年の時を経て再び同じ音を鳴らす。2015年のミニアルバム『lastorder』は発売から数週間で完売し、「北の大地から轟かせる狂音乱舞楽団」の看板どおり、竹林の轟音は現在進行形で鳴り続けている。COWPERSは終わった。だがその遺伝子は、人と人の縁を辿って、確かに今も生きている。

まずはこの2枚の名盤を

COWPERSが残したフルアルバムは2枚。どちらも、知る人の間では名盤として君臨し続けている。流通量が少なく入手は容易でないが、見つけたら迷わず確保してほしい。

1st『Lost Days』(1998年)——吉村秀樹が刻んだ原石

bloodthirsty butchersの吉村秀樹プロデュースによる1stフルアルバム。一曲目「Lost」の紫電一閃の衝撃から、もう逃げられない。イントロだけで鳥肌、という証言が複数残るのも頷ける。ソリッドで鋭いギターリフ、変拍子を用いた展開、荒削りながら感情のこもった咆哮。

象徴的なのは「Curve II」だ。掻き鳴らす轟音とメロディの上にエモーショナルな歌が乗る、COWPERS屈指の名曲。美しいバイオリンの音色まで響く。そこから、やけっぱちの暴走を見せる「Crawlspace」へ雪崩れ込む流れも凄まじい。客演ボーカル曲もあり、楽曲のバラエティは想像以上に豊かだ。捨て曲なし。北海道ハードコアの原石が、ここにある。

2nd『揺ラシツヅケル』(2000年)——到達点にして遺作

そして到達点が、2nd『揺ラシツヅケル』。タイトルからして、北国エモの真骨頂である。蒼く鮮烈な疾走曲「錯覚ノ海」から、変則的な構成でありながら穏やかな昂揚感に包まれるラスト「錆色ノ月」へ——この締めくくりの流れが、特に秀逸と評価されている。

漢字とカタカナを織り交ぜた叙情的な日本語のタイトル群。轟音とメロディ、激情と静寂が、1stよりも高い次元で融合している。そして、本作をもってバンドは解散した。これが遺作だ。完成度の高さと、漂う終幕の気配。1stで撃たれた人は、必ずここまで辿り着いてほしい。

番外編——スプリット盤という沼

余力があれば、シカゴのSWEEP THE LEG JOHNNYとのスプリット(1998年)や、200MPHとの『FEEDBACK INSANITY』(2001年)にも手を伸ばしてほしい。特に後者は解散前年の音源で、最末期のCOWPERSの咆哮が刻まれている。ここまで来たら、もう立派な沼の住人だ。

まとめ——知名度と、音楽の価値は別物だ

整理しよう。COWPERSは、1992年から2002年まで活動した札幌のオルタナティブ/ポストハードコア/エモバンド。bloodthirsty butchersの吉村秀樹に見出され、eastern youthやfoulと並ぶ北の硬派として全国にその名を知らしめ、向井秀徳がナンバーガール解散の夜に名を呼んだ。解散後、竹林現動は中尾憲太郎とSPIRAL CHORDを結成し、今はzArAmeで——亡き吉村との絆をバンド名に刻み、結成時の仲間・戸嶋と再合流して——轟音を鳴らし続けている。

彼らは今なおマニアックな域を出ない存在かもしれない。だが、知名度と音楽の価値は、まったくの別物だ。むしろ、こういうバンドを掘り当てた瞬間の興奮こそ、音楽を聴くことの醍醐味だろう。

ナンバーガールから音楽を遡ってきた人。zArAmeは聴いたがCOWPERSは未聴という人。北のバンドの硬派さに惹かれるすべての人へ。イヤホンで、音量を上げて、「Lost」のイントロを浴びてほしい。北の大地の、熱く冷たい轟音が、四半世紀の時を超えて、あなたを揺ラシツヅケルはずだ。

ではまた。

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