時速36km──10年走り続けた4人が、メジャーの初日に置きにいかなかった
時速36km、ついにメジャーに辿り着いた。2016年、大学のサークルで結成。そこから10年。決して速くない。むしろ、バンド名の通り、徹底的にトロい歩みだった。
そんな彼らのメジャー1stが、この『目を閉じても残る赤』だ。ワンピースのEDに抜擢され、尾田栄一郎に見つけられ、ポニーキャニオンからのデビュー。普通ならここで「みんなに届く優等生アルバム」を作って手堅くまとめる場面だ。
だが、結論から言う。彼らは決して置きにいかなかった。メジャーデビューの初日に、7分超のバラードとポエトリーリーディングの大作をぶち込んできた。だから、これは手堅い名刺代わりではない。賢いとも言えないし、整ってもいない。だが、その不器用さごと、こっちは胸ぐらを掴まれる。惜しい部分を抱えたまま、確かに愛おしい一枚だ。
アルバム全体の総評
タイトルの『目を閉じても残る赤』。網膜に焼き付いた残像のことだ。ジャケットも、血中の粒子や台風に渦巻く葉を想起させる赤で統一されている。光を見すぎたあとに瞼の裏に残る、あの消えない赤——テーマからして、このバンドは「派手な瞬間」より「その後に残るもの」を描こうとしている。
10年分の蓄積が、良くも悪くも全部入っている。ワンピースEDの疾走ギターロックがあれば、インディーズ期の代表曲もあり、メロウなラップに挑んだ新機軸もあり、7分超のバラードもある。本人たちがインタビューで「時速の強みは1つじゃない」と言っている通り、バラエティで殴ってくるアルバムだ。
その振り幅は武器であり、同時に弱点でもある。「いろんな時速36kmが見られる」が、裏を返せば「どの時速36kmが本体なのか」が、メジャー1作目にしては少しぼやける。そこは後で正直に書く。
1曲ごとの感想
1. その未来
ワンピースED。彼らの名を世に知らしめた一曲で、メジャー進出を象徴する全速力のギターロックだ。アルバムの1曲目にこれを置くのは王道すぎるが、王道で正解。10年トロトロ走ってきたバンドが「それでも未来へ全力で駆ける」と宣言する、そのベタさが沁みる。掴みは強い。これは刺さる。
2. 七月七日通り
インディーズ期の楽曲。七夕をモチーフにした、年に一度しか会えない切なさの匂いがするタイトルだ。新録のメジャー曲群の中に古い曲を置くことで、バンドの地続きの歩みが見える。完成されきっていない初期衝動が、逆に生々しく残っているはず。
3. 波の中の一粒
タイトルからして、大きな流れの中の小さな自分、という時速36kmらしい目線だ。スターでもヒーローでもない、波に呑まれる一粒の側から世界を見る。この「下からの視点」こそがこのバンドの体温で、3曲目に置いて世界観の芯を示している。
4. Beyond the Sea, Above the Lights
メロウなラップを取り込んだ新機軸。ギターロック一本槍だと思っていた耳に、ここで風向きが変わる。挑戦としては面白いし、メジャーで「新しい引き出し」を見せにいく姿勢は買う。ただ、こういう曲は本職のヒップホップと比べられた瞬間に分が悪くなる。ロックバンドのラップとして成立しているかは、聴き手の許容度で評価が割れる。ここは賭けだ。
5. My Hummingbird
ハチドリ。猛烈な速さで羽ばたきながら、その場に静止して見える鳥。「時速36km」というトロさを名乗るバンドが「ハミングバード」を歌う対比が効いている。必死に羽ばたいているのに進んでいるように見えない——それ、まさにこのバンドの自画像じゃないか。タイトルのセンスが良い。
6. ハロー
2020年のインディーズ代表曲。尾田栄一郎と彼らを引き合わせたという、運命を変えた一曲だ。シンプルな挨拶のタイトルに、10年の重みが後乗せされている。この曲がなければメジャーもワンピースもなかったと思うと、アルバム中盤に置かれたこの曲の意味が重い。飾らない声が武器のバンドの、原点。
7. 東京
7分超の劇的なバラード。オギノ作詞の大作で、メジャー1作目でこの尺をバラードに割く胆力がエグい。「東京」という手垢のつきまくったテーマを、7分かけて真正面から描く。長尺バラードは中盤でダレると一気に冗長になる諸刃の剣だが、ここで聴き手を最後まで連れていけるなら、このアルバムの白眉になる。化ける可能性が最も高いのはここだ。
8. ブリキの翼
ブリキ、つまり安物の金属の翼。飛べるのか飛べないのか分からない、頼りない翼で空を目指す——時速36kmの自意識がそのまま出たタイトルだ。オズの「ブリキの木こり」も連想させる、心を欲しがる切実さ。叙情に振った一曲だろうが、ここでメロディが弱いと「いい話」止まりになる。
9. オーバードライブ
先行配信されたリード曲。歪んだギターを意味する「オーバードライブ」を冠した、アルバムのエンジン部分だ。3分38秒とコンパクトで、ライブで跳ねさせるための一曲だろう。リード曲にしては奇をてらわず直球で来た印象で、ここは「らしさ」で勝負した安全圏。悪くないが、驚きは少ない。
10. 網膜の奥、ハートの側
アルバムタイトルの引用元にして、本作の心臓だ。ポエトリーリーディングを交え、膨大な言葉を費やしながら転がり、ドラムの推進力でサビへ突き抜け、さらに場面転換していく一筋縄ではいかない構成。仲川自身が「MVがあって初めて完成した」と言うほど思い入れの深い曲で、ここに全部を賭けている。情報量が多すぎて一周では掴みきれないが、それでも何かが網膜に焼き付く。これは問題作であり、このアルバムの存在意義だ。
11. Fire
ラストが「Fire」。火。アルバムを赤の残像で貫いてきた末に、最後に炎を置く構成は、テーマの締め方として理にかなっている。消えない赤の正体は、結局この胸の火だった——という落とし方なら、見事だ。締めの一曲として、燃え残るものを置いて去る潔さがある。
良かった点
下からの視点を、メジャーに上がっても捨てなかったこと。波の中の一粒、ブリキの翼、ハミングバード——タイトルを並べるだけで分かる通り、このバンドは「スターになれない側」の感情を描き続けている。10年トロく走ってきた人間の言葉だからこそ、飾らない声に説得力が宿る。それから、メジャー1作目で7分バラードとポエトリーの大作を2曲も置いた胆力。手堅くまとめる誘惑を蹴って、賭けに出た。この無謀さこそ、置きにいかなかった証拠だ。仲川の質朴な声が、どの曲でも芯を食っているのも強い。
物足りなかった点
バラエティ豊かさが、メジャー1作目としては焦点をぼかしている。ギターロック、ラップ、長尺バラード、ポエトリー——「時速の強みは1つじゃない」のは分かったが、初めて彼らに触れる人にとっては「で、結局どのバンドなの?」が掴みづらい。新機軸の「Beyond the Sea, Above the Lights」のラップは、挑戦として面白い反面、消化しきれているとは言い切れない。そして11曲という構成の中で、インディーズ旧曲と新録大作のテンションの差が、通し聴きでわずかな段差として残る。意欲作ゆえの散らかり、と言うこともできる。これは惜しい。
どんな人に刺さるか
スターになれなかった側の歌に泣ける人。必死に羽ばたいているのに進んでいる実感がない、その焦りを知っている人。andymori、SEBASTIAN X、銀杏BOYZあたりの、衝動と感傷が同居するギターロックに弱い世代。逆に、隙なく整ったメジャーポップを求める人には、この散らかりは雑音に聞こえるかもしれない。だがこのアルバムは、整っていないからこそ本物だ。10年分の不器用さを浴びたい人にだけ、深く刺さる。
評価
8.5 / 10
メジャー初日に置きにいかなかった胆力に加点。下からの視点と質朴な声という芯のブレなさも美点だ。減点は、バラエティが焦点をぼかしている点と、新機軸の消化不良、構成のわずかな段差。だが、これは「頑張ったで賞」の甘い点数ではない。長尺の大作群が、ちゃんと聴き手の胸ぐらを掴んでくるからの7.5だ。名盤の一歩手前で、意欲ゆえに散らかった、愛おしい問題作。
締め
時速36km。歩くより速くて、自転車には抜かれる、その情けない速度。スターになれる速さじゃない。誰もが羨むスピードでもない。だが10年、その速度で走り続けた。抜かれても、置いていかれても、止まらなかった。
そして辿り着いたメジャーの初日に、彼らは手堅い名刺じゃなく、瞼の裏に残る赤を差し出してきた。光を見すぎたあとに残る、あの消えない残像。派手な瞬間そのものじゃなく、その後にしぶとく残るものを、こいつらは歌おうとした。
それはたぶん、トロい速度でしか見えない景色だ。全力で駆け抜けたら通り過ぎてしまう、波の中の一粒や、ブリキの翼や、必死に羽ばたくハミングバードの姿。時速36kmだからこそ、目に焼き付いた赤がある。
ゆっくりでいい。抜かれてもいい。その赤を、決して消さないでくれ。
ではまた。

