Sundae May Club─長崎のサークルバンドが、言葉一本でメジャーの扉を蹴破った
サンデー・メイ・クラブ。長崎の大学サークルで2019年に組まれた3ピースが、気づけばメジャーの扉の前に立っていた。そのデビュー作のタイトルが『なみなみならぬ』。「普通ではない、尋常ではない、並外れている」——自分たちでそう名乗る。デビュー作でこの大見得、滑ったら一番ダサいやつだ。
だが、結論から言う。この見得は滑っていない。むしろ、看板に偽りなしだ。このアルバムの並外れているところは、サウンドの派手さでも演奏の超絶技巧でもない。Vo.浦小雪の「言葉」だ。歌詞が、異常に強い。卑屈と前向きが同じ一行の中で殴り合っている、あの引き裂かれた言語感覚。それがこのバンドを「よくいる瑞々しい3ピース」から引きずり出している。これは、言葉で殴れるバンドの、堂々たる名刺だ。
アルバム全体の総評
35分、全10曲(初回盤は+1曲)。コンパクト。骨太なギターを軸に、王道のロックンロールから昭和歌謡の匂いまで、振り幅は広い。だが、その振り幅でアルバムが散らからないのは、浦小雪の歌詞に一本芯が通っているから。
このバンドの核は、青空の下を駆けるような瑞々しさと、ジメジメした鈍い光が、同じアルバムの中で喧嘩せず同居していること。普通、明るい曲と暗い曲を並べると温度差で事故る。なのにこのアルバムは事故らない。どの曲を聴いても「浦小雪が見ている世界」の濃度が一定だからだ。卑屈さと前向きさのないまぜ、独特の比喩、言葉のリズム——作詞家としての個性が、全曲を貫いて接着剤になっている。
ただし、この「隙のなさ」が、こっちには少し引っかかる。後で正直に書くが、隙がないことは、必ずしも最大の長所ではない。
1. だって眩しくて
1曲目から「眩しくて」と来る。瑞々しい側の代表だ。メジャーデビュー作の幕開けにふさわしい、青空に手を伸ばすような開放感。ただ、このバンドの本当の武器は影の側にあると睨んでいるので、ここはまだ「入口の明るさ」。掴みとしては正攻法すぎるが、正攻法が似合う声ではある。
2. 月が出た!
タイトルに「!」が付いている時点で、衝動の曲だ。1曲目の太陽から一転、月。昼から夜へ、わずか2曲で景色を反転させる構成のセンスがいい。エクスクラメーションの勢いそのままに突っ走るタイプだろう。アルバム序盤に体温を一段上げる役割を果たしている。
3. 幽霊まぼろし
インディーズ期に注目を集めた代表曲。これがこのバンドの「影の側」の本領だ。幽霊、まぼろし——掴めないものを掴もうとする手つきに、浦小雪の言語感覚が一番濃く出る。新曲群の中に旧曲を置くと浮きがちだが、この曲はむしろアルバムの背骨として機能している。これは刺さる。間違いなく一つの核だ。
4. ハッピーバースデイ
先行シングル。メンバーが「最高にかっこいい曲」と太鼓判を押した一曲だ。誕生日というベタな題材を、このバンドがどう毒で裏切るかが見どころ。素直な祝福で終わらせず、祝祭の裏に一抹の寂しさを忍ばせるのが浦小雪の手口だろう。リード曲として間口は広いが、口当たりの良さが先行する瞬間もありそうだ。
5. 目黒シネマロマンス
タイトルが最高だ。目黒シネマ——実在の名画座の名を冠した時点で、この曲が「映画と恋と街」の文芸的な手触りを狙っているのが分かる。具体的な地名を出す歌詞は、ハマれば一気に情景が立ち上がる。このバンドの比喩の強さが、最も映える題材かもしれない。化ける可能性が高いのはここだ。
6. ひとり・ゆくえ
中黒で区切る「ひとり・ゆくえ」。タイポグラフィからして孤独の曲だ。にぎやかな曲が続いたアルバム中盤に、ふっと一人になる時間を差し込む。卑屈さの側に振れたとき、このバンドの歌詞は一番生々しくなる。ここでの言葉の刺さり方が、このアルバムの深度を決める。
7. フロム・ヘル
「地獄から」。アルバムで最も物騒なタイトルだ。瑞々しさを売りにするバンドが、平然と「ヘル」を出してくる。この振れ幅こそ「なみなみならぬ」の証明で、ここで本当に地獄の手触りを鳴らせるか、言葉だけの飾りで終わるかが分水嶺。攻めたタイトルほど中身が問われる。ここは賭けだ。
8. 東京
そして「東京」。手垢のつきまくったこの二文字を、長崎のバンドが歌う——この文脈に意味がある。地方から出てきた人間が見る東京は、憧れと幻滅がないまぜだ。卑屈と前向きの同居を得意とするこのバンドにとって、これ以上ない題材だろう。ただ「東京」という曲は世に溢れすぎていて、よほどの一行がないと埋もれる。浦小雪の言葉が試される。
9. また夏日
「また」夏が来た、という気だるい再来の感覚。終盤にこの曲を置くのは、季節が巡る諦念と愛おしさを滲ませる構成だ。派手さはないが、こういう佳曲でアルバムの体温を整えられるバンドは強い。地味だが、いぶし銀の一曲だと予想する。
10. キッズ・イン・スコール
ラストが「スコールの中の子供たち」。突然の豪雨に打たれる子供——アルバムを締めるイメージとして、これ以上なく鮮烈だ。瑞々しさ(子供)と、鈍い光(スコール)が、最後のタイトルで一つに溶ける。明と暗を全曲かけて同居させてきたアルバムの帰結として、見事な着地点だ。締めとして、強い。
良かった点
作詞だ。とにかく浦小雪の言葉が強い。卑屈さと前向きさが一行の中で殴り合う、あの引き裂かれた感覚。独特の比喩、言葉が転がるリズム。これがあるから、王道ロックンロールも昭和歌謡もただの模倣にならず、全部「このバンドの曲」になる。それから、明るい曲と暗い曲を喧嘩させずに同居させた構成力。1曲目の太陽から最終曲のスコールへ、明と暗を行き来しながら一つの世界に着地させる流れは、デビュー作とは思えない完成度だ。骨太なギターが、その言葉をちゃんと地に足のついた轟音で支えているのも効いている。
物足りなかった点
正直に言う。隙がなさすぎる。これは褒め言葉のようでいて、こっちにとっては引っかかりだ。明暗のバランスも、構成も、歌詞の強度も、全部よくできている。よくできすぎていて、聴き終わったあとに「うわ、ここで事故った」という事故の痕がない。名盤と呼ばれるアルバムには、たいてい計算を超えた歪みや、制御しきれなかった衝動の暴発がある。このアルバムは、その暴発の瞬間が少し物足りない。優等生的な完成度が、爆発力をわずかに削いでいる。あと、サウンド面では「王道」ゆえに、音そのものの新しさで殴ってくる瞬間は少ない。言葉が主役で、音はその器に徹している。それが美点でもあり、惜しさでもある。
どんな人に刺さるか
歌詞を、メロディと同じかそれ以上に聴く人。クラムボン、チャットモンチー、カネコアヤノあたりの、言葉が立っている女性ボーカルのバンドに弱い人。瑞々しさの裏に潜む卑屈さや諦念に、共鳴してしまうタイプ。逆に、轟音そのものや演奏の超絶技巧で殴られたい人には、このアルバムの主戦場は地味に映るかもしれない。これは言葉で殴るアルバムだ。歌詞カードを開いて、一行一行を噛みしめられる人にこそ、深く刺さる。
評価
8.0 / 10
浦小雪の作詞の強度と、明暗を同居させた構成力に大きく加点。デビュー作でこの言語的完成度を叩き出した事実は、素直に驚異だ。減点は、その完成度が逆に「計算を超えた暴発」を削いでいる点と、サウンドが言葉の器に徹しすぎて音単体の驚きが薄い点。名盤の一歩手前、優等生的に隙がないがゆえに、あと一発の事故が欲しかった。だが、これは間違いなく「言葉で勝負できるバンド」の堂々たる証明だ。
締め
長崎の大学サークルで、2019年にこのバンドは生まれた。メジャーなんて夢にも思っていなかった、とドラマーは言う。それが7年後、「なみなみならぬ」なんて大それたタイトルを掲げて、堂々とメジャーの扉を蹴破った。
蹴破る武器になったのは、派手なサウンドでも、超絶技巧でもなかった。浦小雪の、引き裂かれた言葉だ。眩しさを歌いながら、その裏で卑屈に俯く。地獄を見せながら、誰かの誕生日を祝う。明るさと暗さを、器用にじゃなく、不器用に同居させてしまう、あの言語感覚。
最後の曲で、子供たちがスコールに打たれる。突然の豪雨だ。傘もない。でも、ずぶ濡れになりながら、たぶんあいつらは笑っている。眩しさと鈍い光、その両方を浴びて。それがこのバンドの見ている世界で、その世界が、こんなにも並外れて愛おしい。
濡れていけ。傘なんかいらない。その言葉が、ちゃんと光っているなら。
ではまた。

