バンドが解散するとき、判で押したように使われる、あの一文がある。

「メンバーそれぞれの音楽性の違いにより、この度バンドを解散することとなりました」。

ニュースで何度も目にしてきたはずだ。だが、よく考えてみてほしい。この「音楽性の違い」という言葉、その中身を具体的に説明できる人が、どれだけいるだろうか。どんな音楽性が、どう違って、その結果なぜ一緒にやれなくなったのか。誰も、本当のところは知らない。発表したバンド自身ですら、その言葉の裏に別の何かを隠していることが多い。今日は、この日本一便利で、日本一中身が空っぽな解散の常套句、「音楽性の違い」の正体に、できる限り迫ってみたい。

まず、確認。「音楽性の違い」は解散理由の王様である

そもそも、この言葉はどれくらい使われているのか。

調査によれば、バンドの解散において、理由として挙げられるものの約60パーセントが「方向性の違い」だという。続いて「一定の目標を達成した」が約20パーセント。つまり、解散するバンドの実に6割が、あの曖昧なフレーズを掲げて去っていくわけだ。まさに解散理由の王様、定番中の定番である。

だが、ここで素朴な疑問が湧く。本当に、解散するバンドの6割もが、純粋に「音楽の方向性」だけで揉めて別れているのだろうか。常識的に考えて、そんなはずはない。これだけ多用されているということは、この言葉が「本当の理由を覆い隠す便利な蓋」として機能している、と考えるのが自然だ。では、その蓋の下には、何が隠れているのか。

蓋の下にあるもの その1——「時間・金・連絡」

業界の内側を知る人々の証言を集めると、解散の本当の引き金は、もっと生々しく、もっと日常的なものだとわかる。

ある音楽メディアは、バンドを解散に追い込む三大要因をズバリこう断言している。音楽理論の不一致でも、テクニックの差でもない。「時間」「金」「連絡」のルーズさだと。たとえば、毎回リハーサルに5分遅れてくるメンバーがいる。たかが5分。だが待たされる側からすれば、「俺たちの時間を軽視している」というメッセージに受け取られる。スタジオ代の支払いで「今、細かいのないから立て替えといて」が常習化する。これが続けば、信頼関係は静かに崩壊していく。

身も蓋もない話だが、これが現実なのだろう。崇高な「音楽性」などではなく、社会人としての時間にルーズで、金にだらしなく、連絡を怠る。そういう生活レベルのストレスが、積もり積もって、ある日バンドを破裂させる。「本当に音楽性だけで揉めるなら、もっと建設的な喧嘩になるはずだ」という指摘は、痛いほど的を射ている。音楽性で揉めるなら、それはむしろ健全な創作上の対立だ。だが実際の解散は、もっと不健全で、もっと人間くさい場所で起きている。

蓋の下にあるもの その2——印税という名の格差

そして、バンドを蝕む最大の毒の一つが、「お金」、とりわけ印税の問題だ。

これは構造的な問題である。曲が売れると、印税が発生する。だがこの著作権の印税は、詞や曲を作った人に入る。つまり、作詞作曲を担当するメンバーにだけ、収入が集中するのだ。バンドは「5人で一つ」のはずなのに、お金は「作った1人」に偏る。ライブで同じ汗をかき、同じ時間を費やしているのに、口座に入る金額が桁違いに違う。

この収入格差が、関係性を静かに、しかし確実に蝕んでいく。グッズや音源の売上の分配、マネジメント的な仕事を引き受けたメンバーへの対価——あらゆる場面で、金銭的な不均衡は生まれる。最初は小さな違和感だったものが、放置されることで、やがて修復不可能な分裂へと発展する。「お金の問題でバンドが解散するなんて」と驚く人もいるが、金銭トラブルは、プロ・アマ問わず、非常に多くのバンドで起きている現実的な問題なのだ。「音楽性の違い」という美しい言葉の裏で、実際にはエクセルの数字を巡る冷たい争いが起きている。そう考えると、あの常套句が、急に生々しく見えてくる。

蓋の下にあるもの その3——「商業か、アートか」というスタンス

もう少し、本当に「音楽性」に近い理由もある。だがそれは、音のジャンルの違いというより、音楽への「向き合い方」の違いだ。

かつて音楽業界で働いていたという人物が、興味深い指摘をしている。本当の解散理由として、音楽性と同じくらい重要なのが、「バンドを商業的な職業と考えるか、クリエイティブなアート活動と考えるか」というスタンスの違いだ、と。一方は「売れる曲を作って食っていきたい」と考え、もう一方は「売れなくても自分たちの表現を貫きたい」と考える。この根本的な価値観のズレは、どんなジャンルの一致でも埋められない。

これは確かに、広い意味での「音楽性の違い」と言えるかもしれない。だが、世間が想像する「ロックがやりたい奴とポップスがやりたい奴が揉めた」というような単純な話ではない。音楽でメシを食うことの是非、どこまで妥協するか、誰のために音を鳴らすのか。そういう、もっと根源的な人生観のぶつかり合いなのだ。そしてこの種の対立は、当人たちですら言語化が難しい。だからこそ、結局「音楽性の違い」という便利な袋に、まとめて押し込まれてしまう。

なぜ、バンドは本当の理由を言わないのか

ここまで読んで、こう思うかもしれない。「じゃあ正直に『金で揉めた』『あいつが嫌いになった』と言えばいいじゃないか」と。だが、それができない理由が、ちゃんとある。

第一に、角が立たないからだ。「音楽性の違い」は、誰も傷つけない魔法の言葉。「メンバーのAが金にだらしなくて」とも「BとCが険悪になって」とも言わずに済む。全員が、鉄壁の友情を保ちながら、それぞれが別の方向に成長してしまったために、やむを得ず別れた——そういう美しい印象を、ファンに与えることができる。誰も悪者にならない。これ以上に都合のいい言葉はない。

第二に、これは少し皮肉な話だが、ビジネス上の理由もある。過去の活動のすべてを「美しい思い出」に昇華させておけば、その後に発売されるベスト盤やライブDVDを、気持ちよく売りさばくことができる。ドロドロした real な解散理由を暴露してしまったら、ファンは興醒めし、追悼的な購買意欲も削がれてしまう。「音楽性の違い」という綺麗な幕引きは、解散後のビジネスを円滑に進めるための、計算された演出でもあるのだ。とことん、世の中はよくできている。

ただし——本当に「音楽性」で別れるバンドもいる

ここまで散々「音楽性の違いは建前だ」と書いてきたが、公平のために言っておきたい。本当に音楽性の違いで解散するバンドも、確かに存在する。

特に、若い人や音楽歴の短い人が結成したバンドでは、これが起こりやすい。音楽を始めたての頃は、自分の好みや目指す方向が、まだ定まっていない。活動するうちに、それぞれが本当にやりたい音楽を見つけ、その方向がバラバラになっていく。「魂の向く方向が変わった」という、ロマンチックな別れ。これは嘘ではなく、純粋な創作上の理由としてあり得る。

だから、すべての「音楽性の違い」が嘘だと決めつけるのも、それはそれで乱暴だ。問題は、この言葉があまりに便利すぎて、本当に音楽性で別れたバンドも、金で揉めたバンドも、人間関係が崩壊したバンドも、全部が同じ一文で処理されてしまうことにある。だから、この言葉を聞いても、僕らには中身がまったく見えない。透明な袋ではなく、中身の見えない黒い袋。それが「音楽性の違い」という言葉の正体だ。

結局、僕らはどう受け止めればいいのか

「メンバーそれぞれの音楽性の違いにより」という解散理由は、解散の約6割で使われる定番句でありながら、その中身は外から決して見えない。蓋の下には、時間・金・連絡のルーズさ、印税をめぐる格差、商業かアートかというスタンスの対立、人間関係の崩壊——そういった生々しい現実が隠れていることが多い。だが、本当に純粋な音楽性の違いで別れるバンドも、確かに存在する。だから、結局この言葉だけでは、何もわからない。

では、ファンである僕らは、この空っぽの言葉をどう受け止めればいいのか。僕の結論はこうだ。中身を詮索しなくていい、ということだ。

バンドが「音楽性の違い」という蓋を選んだということは、彼らが「本当の理由は墓まで持っていく」と決めたということだ。金の話も、誰が誰を嫌いになったかも、僕らに知らせず、美しい思い出のまま終わらせたい。その選択を、尊重すればいい。無理にこじ開けて、ドロドロした真実を暴いたところで、好きだった音楽が良くなるわけでも、悪くなるわけでもない。

僕らがすべきなのは、解散理由の中身を当てるクイズではない。彼らが、ともかくも一時期、同じ場所で同じ音を鳴らしてくれた。その事実に感謝して、残された音源を聴き続けることだ。「音楽性の違い」という言葉が空っぽなのは、たぶん、わざとだ。その空白に、僕らがそれぞれの感謝を書き込めるように。

次に好きなバンドが「音楽性の違い」で解散しても、中身を詮索するのはやめよう。代わりに、彼らが残した一枚を、最初から再生してみればいい。その音の中にこそ、あの曖昧な一文よりも、ずっと確かな「彼らがいた証」が刻まれているのだから。

ではまた。