言葉にも寿命がある。流行語は一晩で死ぬし、ジャンル名はゆっくり腐っていく。今日検死するのは「ロキノン系」だ。

かつて日本のロック好きなら誰もが使い、誰もがその定義で揉めた、あの言葉。今、10代20代の音楽リスナーの口からこの単語が出てくることは、ほぼない。つまりこの言葉は、もう死んでいる。問題は「いつ死んだのか」だ。死亡推定時刻の特定。今日はそれをやる。

まず、生前のロキノン系について

検死の前に、故人の経歴を確認しておこう。

「ロキノン系」の語源は、渋谷陽一が1972年に20歳で創刊した洋楽ロック批評誌「rockin’on」と、1986年創刊の邦楽版「ROCKIN’ON JAPAN」だ。定義は驚くほど曖昧で、「この雑誌に掲載されている、または掲載されていそうなバンド」の総称。厳格な枠組みは最初から存在しない。音楽的な特徴として挙げられるのは、USオルタナやUKロックの流れを汲む、90年代後半から2000年代に登場した日本のバンド、という程度だ。

決定的だったのは2000年、渋谷がプロデューサーとして立ち上げた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の開始だ。茨城・ひたちなかの国営ひたち海浜公園で始まったこのフェスへの出演は、事実上の「ロキノン系認定」として機能した。ある書き手は、無名バンドでもこのフェスに出れば否応なしにロキノン系の刻印が押される、と書いている。雑誌とフェス、この二つの装置によって、ロキノン系という言葉は2000年代、共通言語の地位まで上り詰めた。

遡れば90年代のエレファントカシマシ、くるり、ナンバーガール、ゆらゆら帝国あたりまで含む広い言葉だったが、一般に流通したイメージは2000年代後半から2010年代初頭の、いわゆるギターロックバンド群だろう。ここが故人の全盛期だ。

第一の死: 悪口になった日

さて、ここからが本題だ。ロキノン系は、一度に死んだのではない。段階的に、何度も死んだ。

最初の死は、この言葉が悪口に転じた瞬間だ。時期でいえば2000年代後半、ネット掲示板の時代。「ロキノン系」はいつしか、揶揄のニュアンスをまとい始めた。ファンを指す「ロキノン厨」という蔑称まで生まれ、ネットを中心に広まった。内向的な歌詞、シャウト、独特のファッション。そうしたステレオタイプを嘲笑する文脈で、この言葉は使われるようになっていく。

あるコラムはロキノン系を「呪いの言葉」とまで呼んだ。名指されたバンド自身が「うちはロキノン系じゃない」と否定したくなる言葉。ジャンル名は、当のアーティストに拒否された時点で、半分死んでいる。誇りを持って名乗る者のいないジャンル名は、ただのレッテルだ。この時点でロキノン系は、音楽用語から悪口へと転落した。第一の死である。

第二の死: 「邦ロック」に王座を譲った日

二番目の死は、もっと静かに訪れた。代替語の登場だ。

2010年代、若いリスナーたちは同じ音楽を「邦ロック」と呼び始めた。日本のロックバンド、を縮めただけの、価値判断を含まないフラットな言葉。雑誌の名前も、フェスの名前も、老舗評論家の顔も背負っていない。SNSのハッシュタグとの相性も良かった。#邦ロック好きと繋がりたい、というタグが定着する頃には、ロキノン系という言葉は上の世代の方言になっていた。

言葉の死とは、使う人間がいなくなることだ。禁止されたわけでも論破されたわけでもなく、ただ、より便利な言葉に人が流れた。ジャンル名の世代交代。これが第二の死だ。

第三の死: 死亡診断書が出た日

そして2021年2月、象徴的な事件が起きる。NEWSポストセブンが報じた、ある大学講師のエピソードだ。授業でロキノン系という言葉を使ったところ、学生にこう言われたという。先生、ロキノン系って死語ですよ。もうだれも使っていません。そもそも流行っていません、と。

これはもう、公式な死亡診断書だろう。しかも「そもそも流行っていません」という追い打ちが恐ろしい。死んだことすら知られていない。若い世代にとってロキノン系は「懐かしい言葉」ですらなく、最初から存在しない言葉なのだ。記事中でライターは、学生の言うロキノン系とは2000年代後半から2010年代頭に流行した邦ロックのことだろう、と補足しているが、その補足が必要な時点で勝負はついている。

第四の死: 聖地と、名付け親を失った日

だが僕は、この言葉が「完全に」死んだ瞬間は、もう少し後だと思っている。

まず2022年、ROCK IN JAPAN FESTIVALがひたちなかを離れ、千葉市の蘇我スポーツ公園へ移った。20年以上続いた聖地の喪失だ。さらに近年のラインナップを見れば、ヘッドライナー級にはポップスの巨大アーティストが並ぶ。ロックフェスの看板を掲げたまま、中身は総合ポップフェスへと変貌した。ロキノン系という言葉の物理的な拠り所だった「あの場所のあの空気」は、もう存在しない。

そして2025年7月14日、渋谷陽一が74歳で世を去った。20歳でrockin’onを創刊し、ROCKIN’ON JAPANを作り、ロックフェス文化そのものを日本に根付かせた男。2023年11月に脳出血で倒れ、療養の末の逝去だった。ロキノン系という言葉の、文字通りの名付け親であり、その言葉が指し示す世界の設計者。彼の死をもって、この言葉は歴史になった。生きた言葉から、音楽史の用語へ。僕が「完全に死んだ瞬間」を一つ選ぶなら、この日だ。

死亡時刻の結論と、ひとつの弔辞

整理しよう。ロキノン系は、2000年代後半に悪口として一度死に、2010年代に邦ロックへ王座を譲って二度死に、2021年に若者から死亡宣告を受けて三度死に、そして2025年、名付け親の死とともに完全に歴史へと還った。言葉の死とは点ではなく、こういう長い曖昧なグラデーションなのだ。

ただ、最後に弔辞を述べておきたい。ロキノン系という言葉は、確かに雑で、呪いめいていて、多くのバンドに迷惑をかけた。だが、あの言葉があったからこそ、僕らは「あのへんの音楽」について語り合えた。定義で揉めること自体が、コミュニケーションだった。お前の言うロキノン系はどこからどこまでだ、という不毛な議論の中に、確かに音楽への愛はあった。

邦ロックという言葉は便利だが、揉める余地がない。誰も傷つかない代わりに、誰の血も通っていない。雑な言葉は、雑であるがゆえに人を語らせる。ロキノン系は死んだ。だがあの言葉が背負っていた、音楽を巡る面倒くさい熱だけは、死なせたくないと思う。

ではまた。