音楽の話をしていると、必ず一度はぶつかる壁がある。「これってオルタナだよね」という、あの曖昧な一言だ。

ロックだのジャズだのパンクだの、たいていのジャンル名は、聴けばなんとなく音の像が浮かぶ。ところが「オルタナティブ」だけは違う。聞いてもまるで像が結ばない。だって考えてみてほしい。「代替」という意味の言葉が、ジャンル名になっているのだ。何の代わりなのか、誰も明言しないまま。

今日は、この音楽史上もっとも意味不明なジャンル名について、語源から皮肉な顛末まで、真面目に考えてみたい。結論を先に言えば、この言葉は最初から自己矛盾を抱えて生まれ、そして見事にその矛盾どおりの末路をたどった。なかなか味わい深い話である。

まず、言葉の意味からして据わりが悪い

「オルタナティブ(Alternative)」という英単語は、「もうひとつの選択」「代わりとなるもの」「代替手段」という意味の形容詞だ。「既存のものに取って代わる新しいもの」「型にはまらない選択」といったニュアンスも含む。

ここで早くも問題が発生する。「代替」という概念は、それ単体では成立しない。何かの代わり、と言うからには、必ず「主役」が存在しなければならない。脇役は、主役がいて初めて脇役になれる。つまりオルタナティブという言葉は、定義の中に「自分ではない何か」を必要とする、依存的な言葉なのだ。

では、オルタナティブは何の「代替」だったのか。ここを押さえないと、この言葉は永遠に理解できない。

「産業ロック」への、いら立ちから生まれた

答えは、1970年代後半から80年代前半にかけて隆盛を極めた「産業ロック」だ。

オルタナティブ・ロックというジャンルは、もともと1970年代の末にイギリスで発生したとされる。当時、英米のメインストリームを支配していたのは、大手レコード会社が主導する商業主義的な産業ロックや、トップ40的なポップス、MTV映えするきらびやかな音楽だった。それに対する「もうひとつの選択肢(alternative to mainstream rock)」として、アンダーグラウンドの精神を持つロックが、オルタナティブと呼ばれるようになった。

音楽的にも、その反骨は徹底していた。きめ細かいヘヴィメタル・タイプのディストーションよりも、RATのような荒々しい歪みが好まれた。80年代メインストリームの花形だった派手な変形ギターを避け、フェンダーのジャガーやジャズマスター、ムスタングといった、当時は地味とされた機材を一部のギタリストが愛用した。聴き心地のよさやキャッチーさを、あえて否定する。それがオルタナだった。

つまりオルタナティブとは、当初「主流が嫌いな連中の音楽」という、極めて態度的・姿勢的な括りだった。音そのものの共通点ではなく、「メインストリームへのアンチ」という精神性で束ねられていた。だから音楽的にはバラバラでも構わなかった。ここに、この言葉の最大の弱点が潜んでいる。

矛盾は、最初から組み込まれていた

ここで、最初に指摘した自己矛盾が効いてくる。

「主流への代替」を名乗るということは、その存在意義を「主流」に依存しているということだ。主流が存在しなければ、代替も存在できない。脇役は、主役が舞台を降りた瞬間に、脇役という肩書きを失う。

さらに残酷な問題がある。もしオルタナティブが大衆に受け入れられて売れてしまったら、その瞬間、それはもう「もうひとつの選択肢」ではなくなる。新しい主流になってしまうからだ。成功した瞬間に、自らの定義を裏切ってしまう。これほど構造的に不安定なジャンル名も珍しい。

そして音楽史は、この矛盾を地で行った。

売れすぎて、自分の名前を裏切ってしまった

1990年代、シアトルを中心としたグランジの爆発とともに、オルタナティブは世界的な大ブームを巻き起こす。アンダーグラウンドの反骨だったはずの音楽が、気づけば世界中のチャートを席巻していた。産業ロックへの反発として登場したものが、結果的に商業的に大成功してしまったのである。

象徴的なのが、権威の側がこのジャンルを「公式に認定」してしまったことだ。あの保守的な音楽賞、グラミー賞に、1991年から「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞」という部門が新設された。皮肉な話である。「主流への代替」だったはずのものに、主流の中の主流たる祭典が、専用の表彰枠を用意したのだ。脇役のために、本舞台に専用の楽屋がしつらえられたようなものだ。

この空気を完璧に言語化した人物がいる。グランジを代表するバンド、パール・ジャムのエディ・ヴェダーだ。彼は1996年、グラミーで最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞した際、壇上でこう言い放った。この賞に何の意味があるのか分からない、全く意味がないと思う、と。反骨の音楽が権威に取り込まれていく、その居心地の悪さを、これほど端的に表した言葉はない。

起源をたどると、もっと分からなくなる

ややこしいことに、オルタナの「起源」を遡る議論もまた、この言葉の輪郭をぼやけさせる。

一説では、すべてのオルタナティブ・ロックの始まりは、1967年リリースのヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『The Velvet Underground & Nico』にあるとも言われる。暗く陰鬱なサウンドと歌詞、7分を超える長尺曲。60年代にしてすでに、オルタナのエッセンスが詰まっていたという見立てだ。

だが、これも考えてみれば奇妙な話だ。「オルタナティブ」という言葉が一般化したのは80年代以降。なのに、その起源は60年代まで遡る。言葉が生まれるずっと前に、その音は存在していた。後から名前が付けられ、後から歴史が逆算された。ジャンルというより、後付けのラベルなのだ。

結局、オルタナとは「分類できないものの分類」だった

ここまで整理して、ようやくこの言葉の正体が見えてくる。

オルタナティブとは、音そのものを指す言葉ではなかった。「メインストリームではない」という否定形の態度を指す言葉だった。だから音楽的には統一感がなくて当然なのだ。ある意味で、これは「その他」「分類不能」というカテゴリの、おしゃれな言い換えにすぎない。

実際、現在では狭義の解釈として「メジャーレーベルから出ているものはオルタナに含めない」という考え方もあり、その場合はインディー・ロックとほぼ同じ集合になってしまう。定義しようとすればするほど、別のジャンル名に溶けていく。輪郭が、つかめない。

でも、僕はこの「意味不明さ」こそが、オルタナティブの本質であり、魅力だと思っている。きっちり定義できる音楽は、定義の檻に閉じ込められる。オルタナはその檻を最初から拒否した。「主流じゃないもの全部」という、どこまでも広く、どこまでも自由な受け皿。だから今でも、ジャンルの狭間に落ちた名前のない音楽たちが、とりあえずオルタナという広間に集まってくる。

意味不明で、けっこうだ。分類されることを拒んだ音楽に、きれいな定義なんて、そもそも似合わない。

今度「これってオルタナだよね」と言いそうになったら、一瞬だけ立ち止まってみてほしい。その一言は、「これは何かの主流ではない」と言っているのと、ほとんど同じなのだから。

ではまた。

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