「初音ミクは、僕の母親です」 wowakaが機械に歌わせ、自分で歌い、遺したもの
2017年、あるインタビューでwowakaはこう語っている。表現者としての自分を生み、育ててくれたのは間違いなくボーカロイドだ、と。
その記事の見出しは「初音ミクは、僕の母親です」だった。
そして2019年4月5日、彼は急性心不全で亡くなる。31歳だった。
最後に発表したボカロ曲のタイトルは「アンノウン・マザーグース」。マザーグース、つまり母から子へ歌い継がれる童謡のことだ。
母親と呼んだ相手に向けて、母の歌という名前の曲を書いて、その2年後に死んだ。
出来すぎている。出来すぎているのだが、これは全部事実である。
今回はヒトリエとwowakaの話を書く。ボカロPがバンドをやった人、という雑な要約では絶対に届かない場所に、この人はいた。
まず、事実を積み上げる
wowaka、表記は小文字始まりの「wowaka」。1987年11月4日、鹿児島県生まれ。
ボカロPとしての活動開始は2009年5月11日。初音ミクのオリジナル曲「グレーゾーンにて。」を投稿したのが最初だ。このとき動画の説明欄に「現実逃避って、いいよね!」と書いたことから、別名義「現実逃避P」が定着している。ヒトリエ結成前に「wowaka」へ統一された。
代表曲は「裏表ラバーズ」「ワールズエンド・ダンスホール」「ローリンガール」「アンハッピーリフレイン」。2011年5月には1stボカロアルバム『アンハッピーリフレイン』をリリースし、オリコン最高6位、13週チャートインを記録している。同年、レーベルBalloomの立ち上げにも関わった。
そして同じ2011年、イガラシ、ゆーまおと前身バンド「ひとりアトリエ」を結成。翌2012年にシノダが加入して「ヒトリエ」となる。シノダはイガラシとゆーまおの知り合いで、Skypeでのやり取りを経ての加入だった。
2013年11月のワンマンで自主レーベル「非日常レコーズ」の設立を宣言し、2014年1月にシングル『センスレス・ワンダー』でメジャーデビュー。
2019年2月、アルバム『HOWLS』をリリース。3月から全国ツアー「ヒトリエ TOUR 2019 “Coyote Howling”」に出ていた。
4月6日、京都・磔磔公演が「メンバーの諸事情により」中止。翌7日の岡山公演も中止。
そして4月8日、訃報が発表された。4月5日に急性心不全で死去、享年31歳。葬儀は遺族の意向により近親者のみで執り行われた、と。
ツアーの真っ最中だった。
なぜ機械に歌わせ、そして自分で歌ったのか
ここが本題だ。
ボカロPからバンドマンへ、という経路自体は珍しくない。だがwowakaの場合、その移行理由の語られ方が異様に鋭い。
前述のインタビューで、彼はこう説明している。要旨はこうだ。2011年の『アンハッピーリフレイン』の時点で、ボーカロイドを使ってやりたいこと、できることを本当に全部出し切ってしまった。リリース後は半年ほど、次に何をすればいいのか分からないまま泥人間のような生活を送っていた、と。
そして続けてこう言う。ボカロ時代から、自分の曲を愛してくれる人がいて、楽曲を通した「wowakaという人間」も同時に愛されている実感はあった。一方で、生身の、この肉体の自分はこの先どうなってしまうのか、という疑問と不安が常にあった。それを振り払うには、もうどうしようもなく自分で歌うしかないと思った。人目に晒されなければいけないと思った。理屈ではなく、そうしなければ死んでしまう、そう思ったのだ、と。
そうしなければ死んでしまう。
この言い方が、僕はずっと引っかかっている。
普通、ボカロPがバンドを組む動機は「もっと大きい場所でやりたい」とか「生の音を鳴らしたい」あたりに落ち着く。ところがこの人は、生存の問題として語っている。
機械に歌わせている限り、自分の肉体はどこにも存在しない。存在しないままだと死んでしまう。だから晒す。
そういう理屈だ。
そしてもうひとつ、実務的な問題もある。
wowakaのボカロ曲は、速い。BPMが高く、言葉が異常に詰め込まれ、音域も広い。あれは初音ミクという「息継ぎを必要としない歌手」がいるからこそ書けた曲でもある。
その曲を、自分で歌うことにした。
息継ぎのない歌手のために書かれた旋律を、息継ぎのある人間が引き受ける。ヒトリエというバンドが最初から抱えていた無理は、たぶんここにある。そしてその無理こそが、あの独特の緊張感の正体でもある。
6年の沈黙と、「アンノウン・マザーグース」
2011年5月の「アンハッピーリフレイン」を最後に、wowakaはボカロから手を引いた。
そして2017年8月22日、約6年ぶりのボカロ曲「アンノウン・マザーグース」が投稿される。初音ミク10周年を記念したコンピレーションアルバム『HATSUNE MIKU 10th Anniversary Album「Re:Start」』への書き下ろしだった。同アルバムのDisc-1、1曲目に収録されている。
ここで重要なのは、この曲がヒトリエのバンド編成でレコーディングされているという点だ。演奏はwowaka、シノダ、イガラシ、ゆーまおの4人。
そして初音ミク版には、バックボーカルとしてwowaka自身の声が重ねられている。
さらに同年10月22日、ヒトリエによるセルフカバー版が配信された。今度はwowakaがメインで歌い、初音ミクがバックボーカルに回っている。
同じ曲を、機械が歌い人間が支える版と、人間が歌い機械が支える版の2つで出した。
これは芸としてあまりに完成している。前述の通り「初音ミクは僕の母親」と言っていた人が、母に歌わせた曲を自分で歌い直し、今度は母をコーラスに置く。親子の役割を入れ替えて2回録っているわけだ。
本人はこの曲について、自分の音楽人生のなかでも特別な曲になった、という趣旨をSNSに書いている。
なお、この曲が投稿された2017年前後は、いわゆるボカロシーンの停滞期とも言われた時期にあたる。同じ夏には米津玄師がハチ名義で「砂の惑星」を発表しており、両曲は当時のシーンをめぐる文脈の中で並べて語られることが多い。
歌詞の中身には踏み込まない。ただ、この曲が「誰も知らない物語」という言葉を含んでいること、そしてタイトルが「誰も知らないマザーグース」という矛盾した意味になることだけは書いておきたい。
誰も知らない、みんなが知っている歌。
そういう名前の曲が、結果的に遺作になった。
「wowakaの死」を語るときの、僕の立場
31歳で亡くなったミュージシャンについて書くとき、いちばん簡単なのは「早すぎる死」「天才は早死に」という語彙に乗ることだ。実際、訃報の直後にはそういう反応が大量に流れた。
wowakaは、死んで伝説になったのではない。生きている間に、すでに全部やっていた。
2009年に貯金を崩してパソコンと初音ミクを買い、1か月かけて1曲目を作って投稿した男が、10年でボカロシーンの歴史を書き換えて、バンドでメジャーに出て、フェスの常連になり、アニメ主題歌を書き、6年ぶりに古巣へ帰って母への歌を置いた。
10年。
その密度を「早すぎた」の一言に圧縮するのは、あまりに雑だ。
もうひとつ書いておきたいのは、死因が公表されているという事実の重さだ。急性心不全という原因が明示されたことで、少なくとも憶測が暴走する余地は最小限に抑えられた。これは遺族とバンドとレーベルの判断であって、当然のことではない。
そしてメンバーのコメントが、また良かった。
イガラシは、ステージでwowakaがギターを弾き始めるあの瞬間をまだ待っている、右手を振りかぶったリーダーがでかい音を出したら人生で一番幸せな時間が始まるのだ、という趣旨を書いた。そして、自分はこの世で唯一wowakaが選んだベーシストだから、wowakaが好きだと言ってくれたベースを鳴らすことを絶対にやめない、と続けている。
ゆーまおは、wowakaが曲を作って自分たちが楽器を持って、曲ができてライブで演奏して音を鳴らしているあの時間は本物だった、という趣旨のことを書いている。そして、良い音が出るって最高だよな、と。
追悼文が「良い音が出るって最高だよな」で締まる。
これ以上のバンドマンの手紙を、僕は他に知らない。
残された3人が選んだ道
そして、この記事でいちばん書いておきたいのはここからだ。
作詞作曲をほぼ一手に担っていたフロントマンを失ったバンドが、どうなるか。
普通は止まる。あるいは形を変えて別のものになる。
ヒトリエは続けた。
2019年6月、シノダがリードボーカルを務める編成で追悼ライブを開催。同年9月からは全国15か所を巡るツアー「HITORI-ESCAPE TOUR 2019」を3人体制で実施している。
2020年8月19日、初のベストアルバム『4』をリリース。タイトルが数字の4であることの意味は、説明するまでもない。
同年12月7日、新体制初となるデジタルシングル「curved edge」を配信。作詞作曲はシノダ。
そして2021年2月17日、3人体制初のフルアルバム『REAMP』。全10曲、レーベル品番AICL-4012。
このアルバムの制作過程が興味深い。2020年前半、緊急事態宣言でツアーもベスト盤のリリースも飛んだ時期に、3人は「月に10曲、1コーラスのデモを上げる」というノルマを課して曲を書き始めた。内訳はシノダが8曲、イガラシとゆーまおが1曲ずつという割合だったという。
結果として『REAMP』は、全曲の作詞をシノダが担当し、作曲はシノダ6曲、イガラシ2曲、ゆーまお2曲という配分になった。
ここが決定的だ。
wowakaがいた頃のヒトリエは、彼が書いた曲を演奏するバンドだった。イガラシは後年、もともと作曲なんてしなくてよかった、という趣旨のことをインタビューで語っている。
その3人が、全員で曲を書いた。
しかもゆーまおが書いた10曲目「YUBIKIRI」には、パスピエの成田ハネダがピアノで参加している。ドラマーが書いた曲がアルバムの最後を締める。かつてのヒトリエでは起こりようがなかった事態だ。
『REAMP』というタイトルは、ギターの音を録り直す技術用語のリアンプに由来すると読むのが自然だろう。同じ演奏を、別のアンプで鳴らし直す。
言い得て妙だと思う。
その後もバンドは止まっていない。2021年6月には『86―エイティシックス―』オープニングテーマ「3分29秒」、2022年6月に新体制2枚目のアルバム『PHARMACY』、2024年9月に日比谷野音ワンマン、2025年1月にメジャーデビュー10周年記念アルバム『Friend Chord』。
そして2024年11月には、wowakaが作曲した楽曲4曲を収録したシングル『NOTOK』もリリースされている。
止まらないし、忘れもしない。両方をやっている。
で、結局この人は何だったのか
wowakaは1987年生まれ、2009年にボカロPとして活動を開始し、2011年に「全部出し切った」としてボーカロイドから離れ、バンドを組んで自分で歌い始めた。2017年に6年ぶりのボカロ曲「アンノウン・マザーグース」を発表し、2019年4月5日に急性心不全で死去。31歳だった。
残されたシノダ、イガラシ、ゆーまおは3人体制でヒトリエを続けている。
そして僕がいちばん言いたいのは、この人がやったことの順番についてだ。
機械に歌わせて有名になった人が、機械では代替できない「生身の自分」を証明するために人前に立ち、その果てに機械のもとへ戻って母への歌を書いた。
行って、帰ってきた。
ボカロPがバンドをやった、という要約では、この往復がまるごと抜け落ちる。往復したことが重要なのだ。片道では意味が違ってくる。
そして、その往復の記録が、いま全部残っている。ニコニコ動画にも、YouTubeにも、サブスクにも、ヒトリエの音源にも。
彼が母親と呼んだ存在は、いまも歳を取らずに歌い続けている。彼はもう歌わない。
その非対称は、どうしようもない。どうしようもないが、それでも彼は10年かけて、機械には作れないものを確かに作った。
聴いたことがない人は、「アンノウン・マザーグース」を初音ミク版とヒトリエ版で続けて聴いてほしい。同じ曲が、歌い手が入れ替わるだけで別物に聞こえる。
その差が、たぶんこの人が生涯かけて証明しようとしたものだ。
ではまた。

