SUPERCARという解散の、その後。表舞台を降りた者たちが、裏側で日本の音楽を作っていた
バンドが解散すると、メンバーはどこへ行くのか。多くは新しいバンドを組み、あるいはソロになり、やはり「表」のステージに立ち続ける。だが、ごく稀に、解散をきっかけに「裏」へと回り、そこで以前より大きな影響力を持ってしまうケースがある。
その最も鮮やかな例が、SUPERCAR(スーパーカー)だ。1997年にデビューし、ギターロックからエレクトロニカまで作品ごとに姿を変えながら日本のシーンを牽引し、2005年に惜しまれつつ解散した4人組。彼らの「その後」が面白いのは、中心人物たちがそれぞれ別の方向から「裏方」へと潜り込み、気づけば僕らが日常的に耳にする音楽の、見えない設計者になっていたことだ。
今日は、SUPERCAR解散後のメンバーの行方を辿る。表舞台を降りた者たちが、いかにして日本の音楽の裏側を作っていったか。これは「解散後」という、バンド史のいちばん語られない部分の物語である。
SUPERCARとは?
青森発のこのバンドの始まりは、1995年。ベースのフルカワミキが八戸市の楽器店に貼ったメンバー募集の張り紙に、いしわたり淳治が連絡を取ったことがきっかけだった。話が進まなかったため、いしわたりは中学の同窓会で再会した中村弘二と田沢公大を誘い、逆にフルカワを誘い込む形でバンドが結成される。これがSUPERCARだ。
特筆すべきは、その音楽性の変幻自在ぶりだ。シンプルなギターロックから出発し、ダンス、エレクトロまで、アルバムをリリースするたびにスタイルを柔軟に変化させた。オリジナルアルバム7枚、シングル15枚。そのほぼ全ての楽曲の作詞を担当したのが、ギターのいしわたり淳治だった。ここが、後の物語の伏線になる。バンド時代から、彼は「言葉」の人だったのだ。
解散の理由は、公式には明かされていない。ただ、後半はバンドの空気が冷めきっていたことがファンの間では知られている。誰が悪いという話ではなく、それぞれの才能が、一つのバンドという器に収まりきらなくなっていた——解散後の各人の活躍を見ると、そう解釈するのが最も自然に思える。
いしわたり淳治——「言葉」だけを抜き出して、職業にした男
解散後、最も予想外の形で大成したのが、いしわたり淳治だ。彼はギターを置き、バンド時代に担っていた「作詞」という役割だけを抜き出して、それを職業にした。
その仕事量と射程が、尋常ではない。作詞家として、Superfly「愛をこめて花束を」、Little Glee Monster「世界はあなたに笑いかけている」。提供先はSMAP、関ジャニ∞、矢沢永吉、布袋寅泰、JUJU、中島美嘉……果ては少女時代、SHINee、EXOといったK-POP勢にまで及ぶ。音楽プロデューサーとしては、チャットモンチー、9mm Parabellum Bullet、ねごと、NICO Touches the Walls、GLIM SPANKYなど、2000年代以降の邦ロックを語る上で外せないバンドを次々と手がけた。その数、現在までに700曲以上。
考えてみてほしい。あなたがカラオケで歌ったあの曲、テレビから流れてきたあのフレーズ。その言葉を書いたのが、元SUPERCARのギタリストだった可能性は、決して低くない。表舞台では「SUPERCARの人」として知る人ぞ知る存在だったいしわたりは、裏方に回ったことで、むしろ日本中の歌に遍在する存在になったのだ。
さらに彼は「作家」でもある。短編小説集『うれしい悲鳴をあげてくれ』は20万部を発行し、エッセイや新聞連載も持つ。バンド時代に培った「短い言葉で世界を立ち上げる」技術が、作詞・小説・コラムと、形を変えて結実している。そして2021年には、盟友のクリエイターたちとユニットTHE BLACKBANDを結成し、SUPERCAR以来となるバンド活動も再開した。言葉の裏方が、再びステージへ。円環が閉じるような展開だ。
中村弘二(ナカコー)——「音」の越境者として地下へ深く潜る
いしわたりが「言葉」の裏方になったのに対し、ボーカル&ギターだった中村弘二——通称ナカコは、「音」の越境者として、まったく別の方向へ潜っていった。
彼の足取りは、名義の多さがそのまま物語っている。SUPERCAR活動中から始めたソロプロジェクト「NYANTORA」に加え、解散後は「iLL」「Koji Nakamura」など複数の名義を使い分け、ソロ活動を展開。さらにバンドやユニットも掛け持ちする。元NUMBER GIRLの田渕ひさ子、agraphこと牛尾憲輔、そして同じ元SUPERCARのフルカワミキと組んだバンドLAMA。ナスノミツル、中村達也とのダークロックユニットMUGAMICHILL。ノイズの巨匠Merzbowらとの実験ユニット3RENSA。名義ごとに、まるで別人のように音楽性が変わる。
そしてナカコーもまた、強力な裏方の顔を持つ。アニメ『エウレカセブンAO』、ドラマ『潤一』『アフロ田中』のメインテーマや劇伴。CM曲、アート展のための音楽、さらには携帯端末の操作音まで。Eテレの子供番組や、国民的アイドルへの楽曲提供も手がける。2017年からはアンビエントに特化したプロジェクトも主宰し、美術館や芸術家とのコラボレーションを重ねている。
興味深いのは、ナカコーが自身のオンラインショップ兼レーベルまで運営していることだ。彼は単に曲を作る職人ではなく、自分の音楽を流通させる仕組みごと、自分の手で握っている。表舞台のスターであることをやめた代わりに、音楽を生み出し、届けるシステムの全体を掌握する。これもまた、ひとつの「裏方化」の極北だ。
二つの分岐——言葉の人と、音の人
ここで、面白い対比が浮かび上がる。SUPERCARという一つのバンドの中心にいた二人は、解散を境に、見事に正反対の方向へ分岐したのだ。
いしわたり淳治は、「言葉」を抽出し、ポップスのど真ん中へ向かった。誰もが口ずさむヒット曲の歌詞を書き、ベストセラーを出し、最も多くの人に届く場所で裏方になった。一方の中村弘二は、「音」を追求し、実験と越境の地下深くへ潜った。ノイズ、アンビエント、劇伴、アート。最も先鋭的な場所で、音そのものの可能性を拡張する裏方になった。
ポップの中心と、実験の最深部。バンド時代、いしわたりの「言葉」とナカコーの「音」が一つの器の中で共存していたからこそ、SUPERCARはあれほど豊かで変幻自在だったのだろう。そして二人の才能のベクトルがあまりに違ったからこそ、一つのバンドには収まりきらなくなった。解散は終わりではなく、二つの才能がそれぞれの本領を発揮するための、必然の分岐だったのかもしれない。
ちなみにフルカワミキも、ナカコーとLAMAで共演を続けるなど、解散後の関係は決して断絶ではない。冷めきって終わったはずのバンドのメンバーが、形を変えて再び音を交わす。この緩やかな繋がりもまた、SUPERCARの「その後」の味わい深さだ。
おすすめの聴き方——「その後」から逆に辿る
このテーマの面白さは、彼らの「現在の仕事」から、逆にSUPERCARへと遡れる点にある。
たとえば、いしわたり淳治が手がけたチャットモンチーや9mm Parabellum Bulletの歌詞を、「これは元SUPERCARのギタリストの言葉だ」と意識して聴き直してみる。短いフレーズで鮮やかに情景を切り取るあの感覚が、SUPERCARの歌詞と地続きであることに気づくはずだ。あるいはナカコーがiLLやKoji Nakamura名義で作る音響を聴いてから、SUPERCAR後期のエレクトロニカに遡ると、あの実験性がどこへ向かっていったのかが立体的に見えてくる。
そしてもちろん、原点であるSUPERCAR自体も聴いてほしい。初期のギターロックから後期のエレクトロまで、一つのバンドがこれほど変化したことの凄みは、解散後の二人の分岐を知ってから聴くと、何倍にも深く響く。「ああ、ここに既に二つの未来が同居していたのか」と。
まとめ——降りた先に、もっと広い舞台があった
整理しよう。SUPERCARは2005年に解散した。だがその中心にいたいしわたり淳治と中村弘二は、表舞台を降りることで、それぞれ「言葉の裏方」「音の裏方」として、解散前より遥かに広い影響力を持つに至った。いしわたりは700曲以上の歌詞とプロデュースでポップスの中心に遍在し、ナカコーは無数の名義と劇伴・実験音楽でシーンの最深部を拡張し続けている。
バンドの解散は、しばしば「物語の終わり」として語られる。だがSUPERCARの場合、それは「もっと広い舞台への入り口」だった。彼らは目立つステージを降りて、僕らの生活のあらゆる場所に音楽を仕込む、見えない設計者になった。今日あなたが聴いた曲のどこかに、元SUPERCARの誰かの手が入っているかもしれない。そう考えると、解散という出来事の見え方が、少し変わってこないだろうか。
表舞台のSUPERCARは、もう存在しない。だが彼らの仕事は、名前を伏せたまま、今も日本中で鳴り続けている。これ以上に豊かな「解散後」が、他にあるだろうか。
ではまた。

