BACK DROP BOMB——ミクスチャー史の「地味な要所」。派手じゃないのに、なぜか全部に繋がっている
音楽の歴史には、二種類の重要なバンドがいる。ひとつは、誰もが知る「主役」。もうひとつは、表立っては目立たないのに、いなくなると地図がスカスカになってしまう「要所」。街道で言えば、賑やかな宿場町ではなく、複数の道が交わる地味な分岐点。そこが抜けると、すべての道が繋がらなくなる。
日本のミクスチャーロック史において、その「地味な要所」を完璧に体現しているバンドがいる。BACK DROP BOMB(バック・ドロップ・ボム)、通称BDB。爆発的なヒット曲があるわけではない。お茶の間の知名度も高くない。それでも、このバンドの周辺を調べていくと、驚くほど多くの人脈とシーンが、ここで交差していることに気づく。今日は、この奥ゆかしくも重要なバンドの正体を解き明かしたい。
BDBとは何者か
BACK DROP BOMBは、1994年10月に結成された日本のミクスチャーロックバンドだ。翌1995年1月、渋谷で初ライブを行い、東京を拠点に活動を開始した。
音楽性は、まさに「ミクスチャー」という言葉の見本のようだ。ハードコアパンク、ヒップホップ、ファンク、ヘヴィメタル、レゲエ、スカ、電子音楽——あらゆる要素を、一つの楽曲の中に叩き込んでいく。ヒップホップのビート感、ラウドでハードコアなギター、ファンキーなリズムセクション。そして最大の特徴が、ツインボーカル(あるいは1ボーカル&1MC、2MC)という編成から繰り出される、タイトでスリリングなライミングだ。
ミクスチャーという言葉が日本に浸透するより前から、彼らはこのスタイルを確立していた。だからこそ、複数のボーカリストを擁するミクスチャーバンドの先駆者的存在として、後続たちから熱いリスペクトを受けている。日本のミクスチャー史を語るとき、その源流のひとつとして、必ず名前が挙がる。それがBDBなのだ。
AIR JAMという「交差点」の常連だった
BDBの「要所」性を理解する最初の鍵が、伝説的イベント「AIR JAM」への出演歴だ。
AIR JAMは、Hi-STANDARD(ハイスタ)が中心となって開催した、日本のメロコア/ラウドシーンを象徴する野外イベントだ。1990年代後半から2000年にかけて、このムーブメントは最高潮を迎える。当時のシーンの中心にはハイスタがいて、その周囲にBRAHMAN、SUPER STUPID、そしてBACK DROP BOMBといったバンドがスタープレイヤーとして並んでいた。
BDBは、AIR JAM ’98、そしてAIR JAM 2000に出演している。特にAIR JAM 2000では、なんとトップバッターを務めた。あの伝説的なイベントの幕を開ける役割を任されたのだ。これがどれほど信頼されていたかの証である。爆発的なセールスはなくとも、シーンの「ここ一番」で前に出る。彼らは、日本のラウドロックという大きな道が交わる、その交差点に、確かに立っていた。
人脈の地図——気づけば、全部に繋がっている
BDBが「地味な要所」である最大の理由は、その人脈の異常な広さと多方向性にある。メンバー一人ひとりが、シーンのあちこちに根を張っているのだ。少し列挙してみよう。これが圧巻なのだ。
ボーカルの白川貴善(タカ)。彼は、前回この連載でも取り上げたデジコアの帝王、THE MAD CAPSULE MARKETSの上田剛士のソロプロジェクトAA=で、ボーカルを務めている。さらにストリートブランド「EMPIRE」を立ち上げ、音楽だけでなく当時のストリートファッションシーンも牽引した。バンドマンが、音楽と文化の両輪を回していたのだ。
ギターの田中仁(ジン)。彼は、これも以前取り上げたミクスチャーバンドYKZの田中秀基の、実の弟だ。兄弟が、それぞれ別のミクスチャーバンドの中核にいる。ドラムの有松益男(現在)に至っては、経歴がもはや結節点そのものだ。彼はスカコアの雄KEMURIの結成時の初代ドラマーであり、BDB脱退期間中には、BLANKEY JET CITYの浅井健一、ex.thee michelle gun elephantの照井利幸とPONTIACSを組んでいた。日本のオルタナ/ロックの重要人物たちが、彼を介して繋がっている。
共演歴も凄まじい。DJ HASEBE、DJ WATARAI、FIRE BALL、BRAHMAN、HUSKING BEE。1998年には、ハイスタ周辺の盟友HUSKING BEEとともにマネージメント事務所iniを設立してさえいる。レゲエグループのFIRE BALLとは、2005年にコラボユニット「FBDB」まで結成した。ヒップホップ、ハードコア、レゲエ——本来は別々のシーンにいる人々が、BDBという一点で交わっている。彼らは、ジャンルの境界線そのものに立つバンドだったのだ。
海外勢との、さりげない接点
人脈は国内に留まらない。BDBは、海外のオルタナティブシーンとも、さりげなく、しかし確かに繋がっていた。
2002年のリミックスアルバム『REFIXX』には、ソニック・ユースのサーストン・ムーアや、UKのドラムンベース重鎮KRUSTといった海外勢が、リミキサーとして参加している。2003年には、フー・ファイターズらが出演する幕張のフェスや、ファレル・ウィリアムスのバンドN.E.R.Dのツアーにも参加した。
派手な「海外進出」とは少し違う。だが、世界の先鋭的なアーティストたちが、BDBの審美眼や折衷感覚を認め、自然に手を組む。この「わかっている人同士が、静かに繋がる」感じこそ、BDBの真骨頂だ。大声で「世界進出だ」と叫ばずとも、気づけば世界の重要人物と同じテーブルに着いている。地味な要所は、国境すら越えていたのである。
おすすめCD——交差点の音を聴く
派手なヒット曲で入るバンドではない。アルバムという単位で、その混沌とした豊かさを浴びてほしい。
『MICROMAXIMUM』(1999年)——まずはこの初期代表作から
迷ったらこれ。1stフルアルバムにして、初期代表作と言って過言ではない一枚。DJ WATARAIが参加し、ヒップホップのビート感とラウドなバンドサウンドが高純度で融合している。発売から20年を記念したライブが開かれ、そのDVDやサブスク配信が往年のファンを再び興奮させたという、まさに「あんとき」の名盤だ。日本のミクスチャーが最も熱かった時代の空気が、ここに封じ込められている。
『REFIXX』(2002年)——人脈の地図が音になる
リミックスアルバムという変則的な作品だが、BDBの本質を理解するには最適だ。サーストン・ムーア、KRUSTといった海外勢から、toe、MIGHTY CROWNといった国内の盟友まで、豪華なリミキサー陣が集結している。このメンツの並びそのものが、BDBという「要所」に集まる人脈の地図だ。彼らの折衷感覚と、優れたクリエイターとコラボする審美眼が、音として味わえる。
『NIPSONG』(2003年)——近未来へ向かう実験
3年半の期間を空けて発表された2ndアルバム。長くタッグを組むデザインチームのアートワークも含め、近未来的な世界観を堪能できる作品だ。初期のストリート感から、より実験的で洗練された方向へ。バンドが同じ場所に留まらず、常に一歩先を目指していたことがよく分かる。『MICROMAXIMUM』で掴んだら、この進化の先も追ってほしい。
まとめ——主役じゃないが、いないと困る
BACK DROP BOMBは、1994年結成の、複数ボーカルを擁するミクスチャーロックの先駆者。爆発的なヒットや高い知名度はない。だが、AIR JAMという交差点の常連であり、メンバーはYKZ、KEMURI、PONTIACSといった無数のバンドと繋がり、サーストン・ムーアやN.E.R.Dといった海外勢とも接点を持つ。日本のミクスチャー/ラウドシーンの、まさに「地味な要所」なのだ。
こういうバンドの面白さは、彼らを起点にして、音楽の地図がどんどん広がっていくことにある。BDBを知れば、YKZが、KEMURIが、AIR JAM世代の全体像が、芋づる式に繋がって見えてくる。主役の華やかさはないかもしれない。けれど、シーンという生態系を本当に支えているのは、こういう「いないと困る」存在のほうだ。
派手なバンドに少し飽きたなら、ぜひこの地味な要所に立ち寄ってみてほしい。『MICROMAXIMUM』を再生すれば、そこから日本のミクスチャー史という、入り組んだ街道のすべてが見渡せるはずだ。地図の真ん中で、彼らは今も、淡々と鳴り続けている。
ではまた。

